素直に何故絶賛できないのか?偏屈者や性格に難ある者は、とかく人の幸せや成功がよほど羨ましく見えるのか、「凄い!」「立派!」「あっぱれ!」の言葉が出てこない。つまり常に他人を非難、批判することによってしか自分の優位性や存在感を訴えられないのだろう。
前から気になっていたが、どうして半島人は、そんなに日本人の活躍にケチをつけるのだろうか?これはもう血筋というか遺伝子レベルで人としての本来の感情を持ち合わせていないのではないか。これは政治の舞台、国際関係やスポーツや芸能の世界にも相通じる。
さて、前置きが長くなったが、先週日曜日のTBS系「サンデーモーニング」のスポーツコーナーで半島ご出身の張本勲が、開幕以来ホームラン3戦連発の大谷に対して「まぐれなのか、米国のピッチャーのレベルが落ちたのか。両方かもしれない。3試合連続は『珍しい』」と放言した。『珍しい』のではなく、普通の人なら『お見事!あっぱれ!!』だろう。
大澤親分が存命だったらそういうのに違いない。隣でゲスト出演していた競泳選手の松田が、虞ながらも「あっぱれ!」を云ったのはせめてもの救い。常識人や苦労人は自身も同じような苦労を経験しているから、素直にそうした賞賛言葉が発せられる。それにつけても張本は情けない男だ。
米国のスポーツジャーナリストさえ、大谷のオープン戦を見て「マイナーから出発か」と評していたものが一転、大谷祥平の投打の活躍に「恐れ入りました。ゴメンナサイ(*´Д`)、オオタニサ~ン」と絶賛しているのに・・。このおやじさんときたらもう評論家でもなければ元選手でもない。このオヤジ!そもそも野球そのものを語れる資格もないのではないか。
この質の悪いオッサン、以前にも評論家の江川昭子さんに対して「野球の判らない者は黙ってろ!」と言わんばかりの居丈高の発言に顰蹙を買い、江川女史を降板させた前科がある。小器にして大器に非ず。朝から気分が悪かった。
会話・発言の冒頭や言葉の端々に「だって・・」「でも・・」「けれど・・」「そうはいっても・・」「ただ・・」が、ついついこれらを口にする人、当方の少ない経験からしてもそういう人にはあまり近づいたり、お付き合いしない方がいいですぞ。
(今日のおまけ)
それに、も一つ張本のオッサンに苦言がある。
それでも「まだね、一通り回らないと。30試合過ぎないと。今、8番打っているでしょ? 日本では、『ライハチ』言って一番下手な人が8番打つの。今度は打てるなと思ったら相手のピッチャーが攻め方違うから。近めに来るから。今の近めの打ち方じゃ苦労しますよ」と指摘した。
おいおい、ちょっと待てよ!名選手、名監督だった野村克也は「チームで8番打者がスラッガーなチームほど優勝に近い」と指摘している。8番打者がDHであっても、選手に寄り添えなければチームを統率するのは無理。
なあ!これまで監督経験のない「張さんヨ!!」。