koushuyaの徒然日記

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

始末に悪い・2-2

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 形見分けなどという風習もなくなり、両親の遺品は、廃品回収業者への提供や一般ゴミとして搬出し、ある程度、片付けは済んだが、どうしても捨てられないものがある。

 

 それは、写真、日記や着物だ。反物であれば仕立て直しもできるが、着物だとそうもいかない。ある方は、着物を日傘にして親戚に配ったとか。でも、貰った方も困るわな?高級ブランドバッグもあったが、ハードオフに持っていっても二束三文。ならばとメルカリに出したら結構な値が付いた。

 

 どうにも始末が悪いのが、写真と膨大な日記。今でこそ、電子データで名刺大のHDD(容量5テラ)もあるから、一生分の日記も格納できる。でも、日記帳やノートでのアナログ・データは、ガサばり保管場所のスペースの確保も必要となる。

 

  思い切って、父親の日記の半分は、中身も確かめず段ボールごと捨てた。でもこれが全てではない。昨日、仏壇の下を整理していたら、父母の日記の一部が出てきた。親父の日記は亡くなる1週間前まで、病状や排便の回数まで綴ってあった。ふと気づくと、日記帳の間に小さなメモ紙が出てきた。

 

 その内容は、子供に対する財産分与で、震える文字でメモってあった。幸い兄弟との争議もなく無事に相続は完了したが、こんなものまで見てしまうと、余計に捨てるに捨てられなくなった。誰かコッソリ処分してくれればいいのに。

 

 こうなったら、自分では捨てられないので、我が亡きあとに、実家の取り壊しとともに息子に処分してもらおう。みなさん、写真、日記の類、どう処分されてます?

 

(今日のおまけ)

 写真やアルバムは、葬儀や法事の時に、会場に持ち込むと親戚、知人や同級生などが懐かしんで、故人を偲んで思い出話に花が咲く。その点からすれば、喪主や施主が、気を遣って会話を繋げる必要もないので、残しておいても利点はある。

 

 ただなあ、日記は親戚へのボヤキや夫婦間の微妙なやり取りや心情が書き綴られているから、さすがにこうした席には持ち出せない。

 

 でも、これまでの葬儀で一番驚いたのは、弔問受付に、病院での闘病生活を送っている生前の姿を音声付き画像を延々と流し続けられたのには本当に困った。今のご遺族はそんなことを平気でやる。どう思います?こんなんアリ?