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koushuyaの徒然日記

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

ヤケに限界(連続特大号③)

教訓 家族 想い出

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 人は生まれながらにして運を背負って生きている。災害や事故、犯罪や病魔で若くして亡くなる方、志半ばで命を絶たれた人。その反面、交通事故や難病に罹っても無傷で生還する人。その生死を分けるものは何か?運は使い果たしてしまうこともあるが、貯めることもできるらしい。強運と衰運とは何が違うのか?命の長さと短さは何で決まるのか。努力もしないでいつも陽があたる場所をあるく人がいる反面、いくら努力をしても結果が出ない人。一見、不公平のようにも映る。

 

 徳兵衛は長男であるから、父母が亡くなったときに施設から仏壇を運んで来て、今、それは自宅にある。仏壇もお墓も入魂式を行い移動の際もお寺さんにお経をあげてもらた。ちょっとした神棚もあり、毎年参拝している「大嶽山那賀都神社(三富)」と「長福壽寺(長生)」のお札も祀ってある。

 

 毎朝、仏壇にはお花と陰膳を供え、神棚にはお神酒を上げて夫婦共々掌を合わせている。験を担ぎ、登山もバイクもマラソンも出掛ける時期や参加大会は毎年決まっていて、これまでこれらを欠かしたことがない。通院、検査、墓参、節句、誕生日には、何かしらの対応しているのが我が家の流儀だ。

 

 さて、話を戻そう。人間は生まれながらにして因果律からして全て±0で、そのうえで生きていく中で、いろいろな課題を背負わされる。仏法の世界では「見えるものを視ず、見えなきものを視る」そうすれば一見不平等に見えるこの世の平等が見えるともいう。

 

 お寺の住職が、常に感謝しなさいという。「何に感謝?」。そしたらこう説明してくれた。どんな人間にも「守護霊(前世の中心的な霊)」、「背後霊(背後から助けたり唆したりする霊)」と「指導霊(学問、仕事や趣味など日常を指導する霊)」が憑いていて、これらの類魂の力によって、その人の寿命や強運、不運といった現象面に現れるという。だからこうした見えない力に生かされていることに感謝しなさいと諭された。また、功なり名を遂げた人は何千、何万もの霊が守ってくれているそうだ。そして、住職が最後にこう付け加えた「運の悪さから学ぶべきことを学べば次第に運気は上がる」と。

 

 女房は20年程前に、余命10年と医者から宣告されたが、医療技術の進歩もあってすでに9年寿命が延びている。その一方で病院には延命治療しない旨の確約書を自ら提出している。徳兵衛、その時がくれば、それは医療と自らの限界とやけを起こさず素直に現実を受け入れたいと思っている。ただ、それがこれまで比較的「運」が良かったと過信していた自分のこととなると、限界が近づくときっとやけを起こして暴れるだろう。御先祖さまや守護霊には申し訳ないが。。。

 

(今日のおまけ)

 良き上司、仲良い同僚、理解ある伴侶、親身になってくれる友人、知人らが一生自分の面倒を看てくれるかといってもそれは無理な話だ。産まれるも死ぬるも独り。時には達観し限界を感じたら、やけにならずに良い意味での諦めも必要だ。亡くなった仏さんの苦悶に満ちたお顔を拝んでみて、ふとそんなことを感じた。 合掌

 

 さて、「連続新春特大号」はひとまずこれにて終了です。ご愛読ありがとうございました。 

 

 昨日、知り合いらしきブロガーから当ブログの「拡散のお知らせ」が届いた。良くご覧になっていただいているようで、気は引けるがありがたい話ではある。ただ、これは呆け老人の道楽の一種で暇つぶしのNEGOTO,TAWAGOTO,ZAREGOTO世界。アクセス・アップやファンづくりが趣旨ではないことだけはどうかご理解ください。そうすれば今後さらに、面白さ、好感度、共感度ともアップしますよ!!