昨日と後先になったが、このフレーズは福岡・博多弁ではない。時に当方我幼少の砌、生卵なぞは月に一度口にできるかできないかの極貧の生活の中にあった。ご飯は当然麦飯。この麦飯がなくなると来る日も来る日も「ホウトウ」ソバができないところほど饂飩がやホウトウなど小麦粉主体の料理になる。
母親の実家に行くと鶏小屋があって、数十匹の鶏が鶏舎にいた。毎日卵を産む鶏は重宝がられて、。朝、小屋に行くと両手でも抱えきれないくらいの卵を産んでいた。だから卵には事欠かず、夏休みともなると毎日のように食した。
不思議にも小屋を出たニワトリが庭先を歩くのは珍しい光景でもなかった。さて卵を産めなくなった老鶏はどうなるかというと、大事なタンパク源だから絞めて鶏肉をいただく。
亡くなった祖母(山梨県中巨摩郡竜王町・現甲斐市)はそれはもう見事の一言に尽きる。捕まえた老鶏の首をアッサリぱきっと折って絶命させた後は茹でた釜に一羽丸ごと入れる。こうすることによって羽根が簡単にもげ後の料理が簡単に進む。
でもその一部始終をみていた幼少の我にとっては、料った鳥のおかずにはなかなか手を出せない。牛、馬、鶏、ヤギに猫もいたが不思議と犬だけはいなかった。
この老鶏の内臓(モツ)に眼をつけたのが甲府の蕎麦屋「奥藤」の先代だった。日頃から看板メニューが欲しくて客寄せとなる目玉商品が欲しかったご主人。農家に行っては買いたたき老鶏を二束三文で仕入れた。しかも鶏肉は別業者に卸しモツだけを料(理)した。
お蕎麦をいただく前にちょっと一杯。このつまみになったのが「甲府の鶏モツ」。なぜか分からないがこのメニューは甲府の蕎麦屋に多い。後は、ご存じのとおり大ヒットを遂げB級グルメで優勝したこともある。
この蕎麦にこだわりを持っていたのが信州松本市内の「三重(みかさね)そば」のお店と「女鳥羽蕎麦」まあ、頑固なご主人で「そばをいただく前のお酒はご法度」理由は蕎麦の味や風味が分からなくなるからだと言っていた。
蕎麦に対する考え方、品は同じだろうがところ変われば考え方がまるっきり違う。