Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

「信ずるものは?」こそ、救われない!

 今日は意味深な日だ。時に情報・印象操作や一方的な偏向発言、発信によって庶民はたやすくその内容を信じてしまう。これ発信側の意(企)図や悪だくみがあって、容易に工作が出来てしまう。

 

 政治家の発言、どこそこかのオエライサン、警察発表も然りだ。

 

 それを見聞きした者は、あたかもそれが事実だと思い込み、信じてしまう。この危うさのお先棒を担いでいるのが「マスゴミ」だ。時に事実の一部だけを切り抜き誇張し真実がそれだけにあるような伝え方をする。

 

 事実をありのままに全容を伝えたうえで読者や視聴者の判断をゆだねるべきなのだが、政界や当局に相乗りして偏向報道あるいは憶測報道を勝手に垂れ流す。

 

 これでは大戦中の「大本営発表、我が軍の敵軍との戦況は極めて有利に進んでおり・・」と一方的に勝ち戦のような報道をする。そうすることによって、容易に世論(国民)や意識誘導が出来てしまう。

 

 また、反対に各報道機関が共通してある事柄だけは報道しないし口にもしない。こうなると読者や視聴者は、「だからか・・」と勝手に憶測したり邪推する。これも見事な世論誘導だ。

 

 つまりですな、時の政権や自社利益だけのために、何時の世もマスゴミ(新聞、テレビ、ラジオ、業界紙などの報道)は「相乗り」が得意技だ。それ故に「シンチョウ、ブンシュン」などの週刊誌の内実報道に心が躍る。

 

 伝聞や噂、フェイクや捏造、デマに惑わされてはイケない。自身で確認したモノだけが信じられるのだ。少なくとも出回っている情報だけを信じては危うい。これに乗り易いのが高齢者だ、特殊詐欺とて多くの被害者はお年寄りだ。

 

 「全部を自分自身で真実を・・なんて出来っこねえズラ」とおっしゃる方のお気持ちも分かる。ただ、皆の衆!少なくとも前述のような視線や目線で表に出て来た報道に接して欲しいと願うばかりだ。でなければ「救われない」。

フレ過ぎ、ズレすぎ、やり過ぎ

 こんばんは、「ハンドルネーム:見過ぎた」こと、にわか評論家の拙者「三杉たのやりたん」です。これって、相手の妥協や弱みを探りながら実行を支配していくという戦略というより戦術。

 

 これに傑か、勝てるかどうかはお相手の出方や自分自身次第。これに勝つ、克服、凌駕できるのは緻密な計算と心理を読まなければならない。でなければ、その先の方向は予期せぬあらぬ方向にコトが進んでしまう。

 

 政権(総理)が代わって、変化や革新的政策が展開されるやと思いきや就任8か月もたった今でも具体的な政策は展開されないまま、国会答弁でも「検討、けんとう、ケントウシマス・・・」を連呼し輪唱、連続その回何と204回にも及ぶ。

 

 挙句に与野党内や国民からも「遣唐使ならぬ『検討氏だ!』」とい揶揄されるお粗末な事態。

 

 これやっぱり「フレすぎだわな!」、それに一言、前言を翻して予算のバラマキをやった途端に税を管理する現役税務職員が「持続化給付金交付」を目当てにスキを突いて交付金を詐取。ここにきてやっと警察もパフォーマンス紛いに重い腰を揚げ始めた。

 

 一方でわが国の防衛費予算の増額を求めた与党に対し野党議員や取り巻きの反対発言があった直後に今度はキタがミサイルを連射してきた。この感覚や発言は明らかに「ブレ過ぎだわな!」

 

 本稿の最後に「やり過ぎ」についてご忠告申し上げる。

 

 本来の目的を逸脱して目的そのものを目的化してしまうと、イベントや行事に走り執行部はパフォーマンスを狙い「やってる感」を出したがる。

でも、でも、もう一度原点(原理・原則)に帰って見ることをお薦めしたい。

 

 リスク、危険度、事故やケガならまだしも遭難することだってある。「やり過ぎ」をして一緒に行った山仲間を失った経験のある当方にとっては、その辛さ、申し訳なさには言葉では言い尽くせないほどの猛省がある。

 

 今日は元に改めてそのことを自身に「戒めたい」として投稿いたした次第。

暑さと寒さが判らにゃあ~い!

 昔から「暑さ寒さも(秋・春)彼岸まで」といわれてきたが、最近これが全く分からず湿度のみならず、気温の高低(寒暖差)を肌で感じなくなった。これって、加齢に伴う「不感症」なのか?

 

 一昨日の話の続きのようで恐縮だが、先日も昼過ぎ外出する用事があって、長そで下着にシャツを三枚重ね着しても少しも汗を感じないのだ。この時期周りは半袖、短パンにサンダル姿に、額や首筋にびっしょり汗をかいている。一方、拙者は冬ソックスにウィンドウブレーカーの出で立ち。ところが帰宅後に汗が一気に噴き出した。何これって!!

 

 気分障害どころか、とうとう年のせいか、肉体的にも「ガタ」が来たかあ?そう云えば思い当たる節もある。亡くなったオヤジは、「エアコンは体に悪い」といって、極寒時に暖房も熱暑の最中にも冷房は一度もかけていなかった。それどころか扇風機でさえ風当たりが良くないとスイッチも入れなかった。それでも、季節になると団扇、扇子に炬燵や灯油ストーブは愛用していた。

 

 これに関連して、杏林大公開講演会で地元の三鷹ネットワーク大との共催で「健康寿命延伸」講座、「熱中症と低体温症 何に注意し、どう対処する?」が行われた。以下、ご参考までにその講演録の一部を引用し、ここにご紹介したい。

 

ヒートアイランド現象や地球温暖化の影響により、熱中症の発症は真夏の労働やスポーツ時だけでなく、自宅での日常生活において増加しています。特に、高齢者や小児などは熱中症を発症しやすく、注意が必要です。また、体の中心部の体温が35℃以下になる偶発性低体温症は、夏の登山でも、また糖尿病の既往のある人や高齢者に発症しやすいと言われています。今回、熱中症と低体温症について、予防と対処法についてお話します。

 

熱中症は、高温環境下で体内の水分や塩分のバランスが崩れるなどの体内調節機能が破綻により発症する障害の総称である。重症の熱中症では死に至る危険もあるが、応急処置や予防法を知っていれば対応できる。熱中症の軽度では手足のしびれ・めまいや立ち眩み・筋肉のこむら返りなどの症状が現れる。対処は涼しい所で冷やした水分を補給して休む・誰かが見守り症状が改善しない場合は病院へ連れて行く。中等度では頭痛・吐き気または嘔吐・倦怠感などの症状が現れ、衣服を緩めて体を積極的に冷やす。重症では全身性の痙攣・意識障害・体に触れると熱いと感じるほどの高体温などが現れ、直ちに病院で対応する必要がある。水分・塩分の補給は自分で飲んでもらう事が大切である。吐き気や嘔吐・意識が無い人に水分を飲ませると誤嚥の危険性があり経口摂取は禁物である。体を冷やすには皮膚や下着の上から水をかけて扇ぐ、氷のうなどで前頚部両脇・腋窩部・鼠径部に当てる事が有効である。熱中症患者では高齢者が多く、全体の4割を占める。高齢者は皮膚の温度感受性が鈍くなり暑さを感じにくい・体液量低下や皮膚血流量・発汗量減少などの熱放散能力が低下している。そのため、喉が渇かなくても水分補給・室温をほぼ28℃前後に保つ・1日1回汗をかく程度の運動を行うことで熱中症を予防ができる。

 

 低体温症は、直腸温・膀胱温・食道温などの深部体温が35℃以下に低下した状態である。低体温療法のように意図的に低体温とする場合と区別するために事故や不慮の事態に起因するものを偶発性低体温症と呼ぶ。一般的に深部体温が35-32℃を軽度、32-28℃を中等度、28℃以下を高度低体温と分類する。偶発性低体温症は水難や冬山登山事故で起こりやすいが、日常では飲酒や睡眠薬服用後の寒冷環境下でおかれた場合などが原因となる。特に高齢者や乳児は寒冷に曝されただけで低体温に陥る。冬季は然ることながら日中暖かく夜間が寒いなどの気温差がある時期、また室内においても室温が低ければ起こり得るため注意が必要である。」

 としている。そんなことだからお年寄りは何時亡くなっても不思議ではない。暑さ、寒さ、季節の変化に風を感じ無くなったら当方にも「そろそろお迎えが近いのかも知れない・・・」

亡き両親との懐かしい思い出

 夕暮れ時になるといつものことのように、ご近所の生鮮魚屋「魚甚」で、小銭を握り締めながらマグロの刺身を一冊買いに行かされたのが幼き頃の日課だった。それを酒の肴に晩酌するのがオヤジの常だった。そんな親父はマグロと蕎麦が大好物だった。でも、一口も口にさせてもらえなかった。

 

 そんなことをじっと見ていたお袋がある日突然キレた。「子どもを使って、そこまでして酒を吞みたいか!」と怒鳴ったことを今でも憶えている。みそ汁の具に玉ねぎが入っていてそれを見た途端、縁側で吐いたこと、その時は親父が激怒、滅法叱責された。そこでもお袋は「具合の悪い息子に対しての罵詈雑言は酷すぎる」と。そこでも母は食事も摂らずに子どもをかばった。

 

 それも今となっては帰らない過去だ。お袋を施設に入居させて実家で独り身となったオヤジとお袋の元に毎週末甲府に帰省した。そして親父を寿司屋に連れ出し大好きなマグロの刺身を存分に楽しんでもらった。蕎麦屋にも良く出掛けて、ソバの味を堪能してもらった。

 

 施設にいたお袋にはいつも添い寝をしてやった。それが両親が亡くなる前に当時できたせめてもの恩返しだった。

 

 オヤジのそれに似たかそれ以来当方もソバ好きとなった。信州穂高の天狗沢に出かけては二枚モリや竹を編み込んだ大ザルに盛られたソバの味を愉しんだ。ただ、最近出向いたものの当時に比べて相当味が落ちたのは残念だ。

 

 でも今から40年以上も前の話、義理の父母と一緒に長野中信の「ハタムラ(波田村)」の農家(母屋)の庭先で戴いた。その時の「田舎そば」の味は格別だった。婆さんが腰を曲げながらも石引を挽き、嫁さんが台所で蕎麦を打つ、何とも言えぬ温もりのある微笑ましい光景だった。

 

 折しも、今は長野東信の「滝沢更科」の蕎麦を取り寄せている。ソバは小麦を混ぜればいくらでも繋げる。しかし味は確実に落ちる。やはりソバは純国産のそば粉に限る(多くはカナダ産の外来)。それにそーめんは「揖保乃糸の一束2千円以上もする最高級品しか食しない」。

 

 そんなそばやソーメンの味がいつまで楽しめるのやら・・・(^_-)-☆。

 「信州信濃のソバよりもワタシャ貴方の傍がいい」。

これって「共感疲労」なのかあ?

 最近気分が塞ぎこみ、鬱屈した状態が多くなってきた。和菓子の紀伊国屋の廃業に続いて横浜中華街の老舗「聘珍楼」も運営会社が破産に、ロシアのウクライナへの侵攻といい相変わらずあまりハッピーなニュースは流れてこない。

 

 また、自身のプライベートでも意気揚々とすること、ワクワク感も殆どなくなった。これは将来不安なのか気分障害なのかそれとも健康に自信がないのか、最近、無力感に苛まれている。

 

 そう云えば、ここ二、三年全くと言っていいほど登山もランニングもそれにスポーツジムにも行かず身体を動かすことがなくなった。だから爽快な汗もかかないし、スカッと汗を流すこともなくなった。

 

 唯一汗をかくとすれば「寝汗で一晩に2回も3回も下着やパジャマ、寝具を取り替えている。前者の汗が健全な汗とすれば、後者は質の悪い不健全な汗だ。

 

 心理学では、相手の立場に立って考えたり、相手が感じているつらさを「共感」したりすることは、共感する人に不安や苦痛、さらに情緒的混乱を起こすことがあるとのことで、これをどうやら「共感疲労」というらしい。

 

 これは若い女性に多く20代から30代の方の35%(三人に一人)がこの共感疲労を持ち合わせているという。反面、男性の場合は60代から70代で全体の12%(十人に一人)しかいない。つまり、若い女性は感受性が高く、男は高齢者になるほど共感せず頓着もしないという結果が出ている。

 

 例えば、職業的に自分の感情を抑え、相手に合わせて対応することが続くと、過剰に自分本来の感情を抑えることになる。そうした中で相手に無理矢理共感しようとすると、それで疲労が倍増するとの指摘もある。TVのドキュメンタリー番組を見て感動したり、自然災害で悲しんでいる人の報道を見て涙が出たりもする。

 

 つらい状況・立場にある人に共感し、しかも自分が何も手助けできない場合に無力感を感じること、これこそが共感疲労なのだ。さらにつらい状況にいる人に共感を全く示さない人に対して怒りを感じていると、これが大きなストレスとなるようだ。

 

 今の当方。五感満足とは行かずことさら共感疲労だけが増長している。心に失調を来たしているのかも知れない。