Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

ゴキブリ爺さん

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 命名は家の娘だ。今週中には里帰り出産も終わりご帰還の予定が、どうやら、週央から妙な雰囲気だ。ママ(娘)が体調不良で、当方には黙っていたらしい。産褥期によくある産後の肥立ちの悪さかもしれない。女房が子供を産んだ時に相当苦労させられたものだから、徳兵衛夫婦も必死だ。

 

 出産したクリニックに朝一番で予約を入れ、午前9時から診察に間に合わそうとする爺。当然送迎は爺々の運転だ。

血液、尿検査では異常がなかったので、ひとまず安心した。でも、今週の埼玉へのご帰還は来週にずれ込んだ。生きていればこそ、生きてるうちにお世話になった人に恩返しするのは当然のことだろう。まして血を分けた肉親ならなおさらのことだ。ずっとこうした孫との生活も爺婆にとって精神衛生上は良いのかもしれない。

 

 「糞爺、糞婆」というよりは「ジージとバーバ」と言われた方が何となく穏やかで温もりがある。なぜ、徳兵衛が「ゴキブリ爺さん」と、言われるようになったのか?それは至極簡単。会社を辞めて今はこのブログとサークルや自治会の会計幹事としてご活躍の次第。深夜にブログアップや会計処理をするものだから、夜中に娘とリビングで遭遇することも多く、双方とも「無言」。のちに娘から夜中にゴソゴソするもなだから、タイトルごとく「ゴキブリ爺さん」と命名された。あらためて、昨日は子を産む女性の気力と体力と辛抱強さを感じさせられた。

 

 

(今日のおまけ)

 母が生前の頃、夜中に洗剤液をいれた紙コップを片手に台所に出没したことを思い出す。何あろう、じっと排水管から上がって来る「ゴキブリ」を素手で掴んで紙コップに入れている。そりゃ人知を越えた妙技だ。そのうえ、家の内外のありとあらゆる通気口を金網で塞いで、ネズミの侵入を防いでいた。

 

 今は、実家には住人が居らず、ゴキブリやネズミが好物の食べ物や残飯がないものだから、その姿は見かけないが、よもや自分が「ゴキブリ」になろうとは、夢にだにしなった。そんなせいか、最近やけに近所で背中の綺麗な茶羽根ゴキブリをよく目にする。ゴキちゃんだけに、「ごきげんよう!!」とご遠慮したい。

 

銀ぶら

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 銀座でぶらり散歩、久し振りに独り銀座を歩いた。「紫野」で軽く食事を済ませて五丁目から京橋方面へ歩く。ひところより街並みや店並みはがらりと変わった。これも時代を反映しているのだろう。

 

 その昔は老舗も多くどこそこに行けば何が揃うと分ったものだが、今は何処に行けばいいのか判らない。日本の一等地といえば鳩居堂前。バブルの頃は、ハンカチ一枚の大きさの土地が3千万円もした。そのころ、徳兵衛も田舎に猫の額ほどの宅地を買い求め、何れ田舎に棲む予定だった。そのころから比べれば地価は⒍分の⒈にまで下がった。その間の固定資産税だけで3百万円も支払った勘定になる。

 

 そんなことをつらつら考えながら、アンパンで有名な「キムラヤ」に立ち寄り定番のアンパンは勿論のこと今、人気の「あんバター」を買い求め、それを口にしながら山野楽器前を歩く。こんなに盛況な「キムラヤ」も近々店を閉めるという。パレードや箱根駅伝で賑やかな中央通り沿いの懐かしい店がまた一つひとつと消えていく。

 

 京橋駅の近くになると、アジフライで有名な「松輪」が見えて来る。昼時ともなると長蛇の列に正午までには売り切れてしまうほどの人気店だ。「美々卵」のうどん、片倉ビル地階のレストラン、明治屋の洋食カレーや千疋屋のランチ、津村ビルから丸善三越前まで歩いてみた。昔の想い出にこみあげて来る寂莫感、若いころは30分ほどのコースはこの日に限っては1時間以上もかかり、足取りも重く自らの齢を感じざるを得なかった。

 

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(今日のおまけ)

 6年前の3月11日、東北大震災のとき、この徳兵衛は災害対策本部の責任者にいた。人の使い方の難しさを知った反面、こうした時に人の本性や能力がよくわかった。口先だけで一向に動かない人間、報告だけを求める役員、パフォーマンスばかりを気にするセクション。この時のむき出しの人間像をみて、以来そうした人種とはお付き合いをしなくなった。

 

 対策本部には一般の方からも電話が入る。富岡町や楢葉町からの相次ぐ電話。電話の向こうから嗚咽まみれの女性の悲痛な声で「助けてください!!・・・お金も食べるものも、何もない・・・どうか助けてください、お願いです・・・!!」。一瞬、我を失ったことを今も鮮明に憶えている。

ヒエラルキー

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 ドイツ語でいう階層制や階級制のことで、主にピラミッド型の段階的組織構造をいう。もう少し具体的にいうと、人的にも社会的に見た時の上下関係を指す。会長、社長、担当役員、部長・・・平社員のような階層構造いう。このほかにも医者、学者、政治家、高級官僚や大手企業のオーナーなどの特権階級を揶揄するときにも使う。

 

 さて、政治家は資質がなくても政治家になれるが、官僚や医者は国家試験に合格しなければ職につけない。最近、公務員や医師の下半身のだらしない犯罪がやけに目立つ。特に医者とは、医療に関して高度な知識や専門技術を有しており、感情に流されず非常事態にも動揺せず患者の快復に全身全霊で向かう善行をなすものだから「医は仁術」ともいわれ、患者からも敬愛される職業である。

 

    でも、そうした医者や医者の卵に限って犯罪が多い。またそうした医者の卵の父親が弁護士だったりもする。盗人に追い銭のごとく弁護内容は、「被告(息子)は、十分に社会的な制裁をうけており、被害者の女性とも示談・和解がしている・・・・」てなところで、無罪や執行猶予を勝ち取る。

 

 そうしたやりとりがこの世に蔓延している。医学界に限らず教師、警察官、公務員や省庁ぐるみで汚職に手を染める人が多い。医者はともかく、同じ先生でも、とくに教師は会社員と違って世間の目を気にせず「お子ちゃま」が多いものだから社会性にきわめて乏しい。

 

  だから、いたずら目的の盗撮や児童等の犯罪も多い。それぞれの階級や階層での不祥事や犯罪には温床があって、特権階級ほど倫理観や道徳観念の欠如が目立つ。

 

    その一方で医者が犯罪を犯した被害女性にも落ち度はある。将来不安などを抱えた若い女性たちは、永久就職先として先生(医者)のご婦人で居られることは、この上ない至福だ。だから、独身の医者や医学生たちとの「合コン」や「お誘い」にも安易に乗る。そこにこそ現代社会の歪みと裏事情が垣間見える。

 

(今日のおまけ)

 「医者の不養生」という諺がある。コンピュータウィルスに感染しないように対策を綿密に立て、訓練も十分すぎるほどやって、組織内でも日頃から注意を促しているキーマンのパソコンがいち早くウィルス感染してしまうことをいう。

 

   徳兵衛がそのキーマンだったらこう云う「こんなに対策を講じても、注意をしても感染するときは感染する。そのくらいコンピュータウィルスとは怖いものだ」と、詭弁を弄す。

 

 いつも疑問に思うのだが、癌治療の名医が癌にかかったとき、歯医者が虫歯になったとき、床屋の主人の調髪は誰がするのか?またそういう人と当人とのご関係は?といつも考えさせられる。そんな当人に介護が必要となれば誰が介護をししてくれるのか?つらつら考えているうちに、また今夜も眠れない。

看板娘

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 今日は、ひな祭りにつき女性をテーマに綴ってみよう。

 ひとしきり燗酒を楽しんだことがある。手軽に温めて一寸一杯やれる富久娘酒造の「燗番娘」である。この娘さんには昔から大変ご恩があり、お世話にもなった。今日はその「娘」さんのお話。

 

 太古の昔から、男は狩りに女は棲み処を守るといった、動物本能からそれぞれの性の役割が決まっていた。爾来、2千有余年その男女ん本能は今も変わらない。戦後になってようやく婦人参政権なるものが台頭し、男女平等が謳われるようになったが、本質は「男尊女卑」や江戸時代の「5人組」のままだ。

 

 女性を崇めることによって男社会の地位の保全を図る。響きはいいがこうしたことを前面に出せば出すほど、男社会にとっては女性に理解ある男性と映り、多少廻り道で手を煩わせるが、これで男の仕事がやり易く廻りやすくなる。そのうえ、企業イメージも良くなるのは、至極当然のこと。

 

 サッチャーマザーテレサ市川房枝土井たか子ぐらいのレベルならともかく、ヒラリー・クリントン中野信子や三浦瑠麗は横に置いとくとして、自らの論理矛盾を発露する議員(敢えて政治家とはいわない)の辻元清美蓮舫の類に至っては論外だ。

 

 働き方改革、女性活躍推進やジェンダーフリーなどと言葉の響きはいいが、流行語のように聞こえる。反面、今においてデックス・マツコやミッツ・マングローブ等の新種が異常増殖するのは何故なのか。時流とか、時代の流れといって、女性登用をプロパガンダの具とする。これこそ男よがりの世界ではないか?、そんな中、男のなかのオトコと称された、かの元祖、本家「カルーセル・麻紀」は、今、何処に?

 

(今日のおまけ)

貧乏暇なしで何週分も録画していた大河ドラマ「おんな城主:直虎」を深夜、こっそり通しで視た。井伊家の存続を願いつつ幼くも許嫁となった次郎法師(おとわ)。当時の家の存続は己の命以上のもの。そこに男(直親・政次)女(しの・おとわ)が絡む繊細で心の描写がとても井伊!!女主人公の大河は視聴率が取れないというが、そんなことはない。「篤姫」、「江姫」、「女太閤記」「利家とまつ」と、今回のドラマは不人気のようだが徳兵衛にとっては、この種のドラマは結構お好みだ。主演の柴崎コウもいいが小林薫演じる脇役の南渓和尚が、出汁のようにいい味を出している。

 

 第6週から第8週にかけて、井伊家に嫁いだ先の嫁(しの)に跡目が出来ないことを、細大に浮き彫りにし、側女とるまでに至る夫婦、家、幼く許嫁となった直虎(次郎法師)の心理描写はとても興味深い。

 なぜか第6回タイトル「初恋の別れ道」と第8回タイトル「赤ちゃんはまだか」には心酔した。女であることの哀れ、儚さ、そして愛と執念をまざまざと見せつけられた。

 

 蛇足だが「しの」演じる貫地谷しおりは、公私ともに薄幸だが、監督:矢口史靖、音楽:ミッキー吉野ゴダイゴ)作品の山形を舞台にした「スイングガールズ」に出演していた。これには、今をときめく上野樹里本仮屋ユイカも共演していた。この徳兵衛、この映画に限っては何回も映画館に足を運んだし、お宝の秘蔵DVDやグッズも集めた。なぜかこの作品にだけは今でも妙に熱が入っているは不思議だ。ご興味のある方は早速レンタル店に。ど・う・ぞ!

堪忍

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 「苦境を乗り越えて生き延びる」という意味である。

 今日は、六本木で、地元出身のある会社の社長と昔勤めた取引先のトップとフレンチした。上に上がるものほど腰が低く、頭を垂れる。個性があるが反せば主義、主張、思想、信念も確固たるものと虞さえ感じた。

 

 彼は、徳兵衛威よりはるかに若く、世界を股にかける御仁で、しっかりとした先見性と鋭い洞察力を持っている。東京は勿論のこと京都や海外にまで事業を展開しているやり手の企業家だ。昔、徳兵衛委が勤めていた会社の従業員数と同じ規模で、そんな企業が、一躍、世界を舞台にしている。

 

 小さきものほど、小心者ほど、近視眼となり未来を見る目を失い、見る目があることを装う。ところが緻密な計算と戦略がある大物の程、前面には出て来ないしパフォーマンスもしない。大物ほど、率直な姿を人前に晒さない。そのトップがいうことには「都内に何十店ものフレンチ、イタリアンや和食系の飲食店を持っているが、飲食業は構造不況業種だ、年末までには店の権利を譲渡したり閉店する」という。徳兵衛「何故ですか?」と、不思議がって聞き返す。答えはこうだ「客は集まるが、それを切り盛りする責任者やスタッフが集まらない」という。その証左は、すでにファミレスの営業時間や居酒屋の飲み放題の現状にあるという。

 

 このままでは、立ち行かななくなることを動物的な鋭い感覚で感じているのだろうか?将来見通す力も必要だがトップほど緻密で繊細でなければ、経営はできない。

 

(今日のおまけ)

 行きつけのある居酒屋に行って、「ハムカツ」を頼んだら、以前の薄切りハムカツではない。お値段同じで妙に分厚いハムカツが出てきた。不思議な心持で、若い新米店主に尋ねてみた。答えはこうだ「これまで仕入れ先業者のハムカツは薄切りにするためにコストがかかるという理由から仕入単価が次第に上った。そこで業者を変えてボンレス一本を頼んで、この店で厚切りにして客に出す」という。切り盛り、仕切りとはそういうものだと、感心しながら「もう一杯!!」とホッピー・ボトルをまた空けた。