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koushuyaの徒然日記

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

葉っぱの徳兵衛

家族 教訓

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    昨日の茨城県で開催の守谷ハーフマラソンにも体調不良から出場が叶わず、内心忸怩たる思いをしたが、次男家族が前日から泊りがけで2月の生まれの徳兵衛、孫、次男の誕生を祝ってくれた。午後からの雨で、女房が次男と一緒に出掛けたショピンングセンターまで電車で女房の傘を届けに行った。帰り道、30分、そんなに長い時間ではなかったが久し振りに、夫婦らしいし会話ができた。妙に落ち着いたゆっくりゆったりとした時間を一緒に過した。里帰り出産した娘ももうすぐ産まれた子と一緒に帰っていく。。。。

 

 「葉っぱのフレデイ」は小さい頃絵本で何度もみた。その心は、ペラペラとページをめくってみるとイラストタッチの絵本と記憶している。緑の葉っぱ、木々の様子、紅葉、枯れ葉といった色とりどり豊かな風景や絵が並んんでいた。

  絵本の内容は葉っぱのフレディが『死』を怖れ受け入れていく内容になっていたが「さらり」とした印象を受けた。重く描かれているわけではなく、風がそよぐ様に死への姿勢が描かれていた。今、あらためて思えば死生観の極みの絵本だったのかもしれない。 

 

  「ぼく 死ぬのがこわいよ。」とフレディが言いました。「そのとおりだね。」とダニエルが答えました。「まだ経験したことがないことは こわいと思うものだ。でも考えてごらん。世界は変化しつづけてるんだ。変化しないものは ひとつもないんだよ。春が来て夏になり秋になる。葉っぱは翠から紅葉して散る。変化するって自然なことなんだ。きみは春が夏になるとき、こわかったかい? 緑から紅葉するとき こわくなかったろう? ぼくたちも変化しつづけているんだ。死ぬというのも 変わることの一つなのだよ。」

 

 この絵本は「死」というどうしようもない出来事を知り、怯え、怖がる葉っぱのフレディと、それを諭すダニエル君のお話だ。「なぜ生まれてきたのか」「死とはなにか」そういうことを滔々と語られている。「変化することは自然であり死もまた同じだ」と訴えている。

 此処での胆は、大抵「自然だから」と口にする場合、その人にとっては、当たり前なことであり、普通なことであるという意味だ。それ以上でも以下でもない。とは言え、ダニエルは「葉っぱ」だからこそ"自然"と言えるのかもしれない。

 

(今日のおまけ)

 掲載フォトは、徳兵衛お気に入りで大切に室内で育ててきたゴムの木(彼女)だ。鉢の重さは5㎏以上になるものだから、女房では庭先にも出せなし水やりも出来ない。徳兵衛の週末(終末)のお仕事は、彼女を日向に出したっぷりと存分に水やりをすることだった。

 

 ただ、ガジュマルと同じ熱帯植物なので、寒さにはめっぽう弱い。3℃以下であれば、翌日から枯れはじめ、再生は不可能だ。うっかり、外に出した彼女をそのままにしていたら、案の定、翌日から葉っぱが1枚、2枚と落ちていく。

 最後に残ったこの一枚もいつ落葉するかも判らない。よく見てみると枝先や茎から緑色の葉のようなものがある。枝が枯れたら再生は無理。この一枚が落ちる前に芽吹いてくれるか?それともこのまま枯れてしまうのか?「春よ、暖かな日差しを連れて早く来い!!」