Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

空蝉

空蝉、この時期になると、やたらに戦争反対、平和主義を叫ぶ輩が多い。やらせなのか?季節商品なのか?挙げ句に改憲反対や内閣打倒をとも。平和を訴える人間ほど平和の大切さをしらない。奇をてらう奴ほど胡散臭。本当の本物こそ、人の心の中にある。旧盆、昨年はオハグロトンボか舞っていた。今年は不思議にも庭先で夜遅くまでキリギリスが啼いている。f:id:koushuya:20190812003159j:plain

こんなんに。

f:id:koushuya:20190811005356j:plainあのさあ、県都甲府。しかも駅前の一等地、百貨店がこのざまだ。甲府富士屋ホテルといい、ヤマコウ百貨店といい、国際興業の衰退が著しい。郷土の名士、小佐野賢治に頼り切った企業城下町。もはや、ロッキード事件金丸信一を口にする県民もほとんどいなくなった。老兵は去るのみか?

ヨザクラ

f:id:koushuya:20190810003544j:plain

夜桜、お七!  
この唄の原点には、短歌がある。昨日の「時代おくれ」は、宮沢賢治が原点にあり、そのほかの歌謡曲でも、石川啄木を彷彿とさせるような楽曲、詞や小説もある。フミエちゃんの「天城越え」にも舌を巻いたが、トシヱちゃんの唸りと粘りのカラオケの歌声には唖然とした。そのフミエちゃんも賀状の情報によると、当方と同じく大病を患い日常生活もままならず床に伏しているという。  

 この唄にも代表されるが、歌の中には人の生きざま、とういうか、人生が凝縮されているように思う。「時代遅れ」に今日の「夜桜、お七」。さらに言えば今は亡くなってしまった村下孝蔵の「初恋」や「踊り子」など、そのメロデイーラインと歌詞のハーモニーは群を抜いた名曲だと思っている。    

前述のフミエやトシヱちゃんに限らず、その後のヨウコやマサちゃんも含め、嫁かずの女性たちは早々に会社を辞めて今や両親の介護に奔走している。育児休暇、介護休暇など働き方改革で、一見、世の中に優しいお国を作っているようだが、保育問題も含め現場は惨たたる状態だ。  

さて、今日も今夜もこの唄で。作詞は「あまり」というペンネームは幼少期からのあだ名に由来している「林あまり」。 東京都渋谷まれ。作詞家としての作品に「夜桜お七」(坂本冬美)がある。  


強烈なフレーズ「来ない人は死んだ人」。さくら、さくらいつまで待っても来ぬひとと死んだひととはおなじさ桜!あまりに刺激的で自虐的だ。あの歌詞は、この短歌を元に作者本人が作詞したと言われている。

  自分を振った男なんて死んだと思え。死んだと思えばラクなもの。連絡はプッツリ途絶えた。どうしているかも、知らない。ああ、亡くなったんだな。そう思えば全部ラク。なら必死に連絡したって無駄じゃない? 彼は死んでいると思えば未練も執着もないの「男になぐさめてもらうのは、むなしい気持ちになる」、これは失恋の究極の心境だ。   それでは、この唄の歌詞をもう一度詠みかえしてみよう。  

「赤い鼻緒がぷつりと切れた すげてくれる手ありゃしない 置いてけ堀をけとばして 駆けだす指に血がにじむ   さくら さくら いつまで待っても来ぬひとと 死んだひととは おなじこと さくら さくら はな吹雪 燃えて燃やした肌より白い花 浴びてわたしは 夜桜お七   さくら さくら 弥生の空に さくら さくら はな吹雪 口紅をつけてティッシュをくわえたら 涙が ぽろり もうひとつ ぽろり   熱い唇おしあててきた あの日のあんたもういない たいした恋じゃなかったと すくめる肩に風が吹く   さくら さくら いつまで待っても来ぬひとと 死んだひととは おなじこと さくら さくら はな吹雪 抱いて抱かれた 二十歳の夢のあと おぼろ月夜の 夜桜お七   さくら さくら 見渡すかぎり さくら さくら はな吹雪 さくら さくら さよならあんた さくら さくら はな吹雪」  

 「いつまで待っても来ぬひとと♪ 死んだひととはおなじこと♪」 何回聴いてもいい歌だ。

神輿は軽いに限るわ。

f:id:koushuya:20190809161649j:plain

神輿は軽いに限る  地元での初のブログ更新トライアル。して、みたあ~い!! 映画「相棒」で岸部一が演じる小野田官房長官が「神輿は軽いに限る」とのフレーズが何故か蘇る。そりゃ担ぎ手に取っても周囲にとっても神輿は見栄えが良くて軽いに限る。  

ところで、SKDは松竹歌劇団。TSKと云えば地元の有力企業だ。この企業の代表HK氏とは十数年来のお付き合いをさせていただいている。これについてはいまさら否定もせず、ご承知の通り。   時に流行りヤマイのような「コンプラ」や「ガバナンス強化」は否定しないが、小学唱歌のように聞こえてならない。

ひとまず、これを言っておけば火傷はしないだろう、でもこれが度を過ぎて、社会や組織、現場やみんなが「良い子」を演じて「上げ諂うよう」なことばかりになると、偽善者ばかりが溢れてコミュニケーションは取りにくくなる。これがそれまでの現場を必要以上に混乱させ、生産性や効率化は低下する。   つまり、「働き手」が居なくなって、生産コストばかりがかかって売り上げ部門から管理部門だけに投資が促進されるものだから、利益率が低下するのは当たり前の話。


  スポーツもそうだが片方で勝利至上を謳い、片方でパワハラや指導強化を非難する。勝たせたいのか、強くさせたいのか、全くの二律背反を選手や部活に求める。これでは選手は、おろか現場も監督も混乱するだけだ。   馬鹿な首脳は、取り巻き連中の意見を頭から信じてしまう。「・・・は、組織の利(国)益になります」と言われれば、すぐその気になる。それに反対意見を述べ、予想外の行動をとることもない。みんなに喜んでほしいから、みんなの言うことに頷いてしまう。

  だが、取り巻き連中は徹底的に首脳を利用して、最終的には汚名や責任を首脳に負わせるのは常套手段だ。馬鹿なトップが利用されるのは彼の国も日本も同じだ。ポッポが首相だったころ、取り巻き連中が右なら右に、左なら左に染まるだけだった。本人は自他ともに認める「空ッポッポ」で周囲の幹部らも「担ぐ神輿は軽い方がいい」と言い放なたれた。

  本来ならトップがビジョンを示し、ブレーンが実現可能性を模索するものだが、それが逆転し、だからといって、ブレーンが悪いとか、トップが悪くないというわけじゃない。

  勿論、責任は馬鹿なトップにあるが、そんな馬鹿なトップを利用した取巻き連中の罪が見逃されるのは、なんとも許しがたい。そうした意味では、その事態に陥らせたこと、トップが責任を取ることに対する周囲の罪ははるかに重い。   かといって、イザ有事となれば、泥船から逃げ出すネズミのように皆が逃げる。

今日はもう立秋だぜ、「タラタラしてんじゃね~よ!」

f:id:koushuya:20190808004729j:plain

    地元山梨の「よっちゃん食品工業」(山梨県中央市)が、一挙にメジャー食品業者に仲間入りだい!「よっちゃん」といえば、その昔から定番の「酢漬イカ」だけで、地元では不人気の桔梗屋の「信玄餅」にも後れを取っていた企業だ。でも、当時、地元ではほとんど見かけなかった金色の「ロールス・ロイス」を社長公用車には、同社のマスコットキャラの「スルメ」が全面に描かれ、街中を走り回っていたのには住民も度肝を抜かれた。そんな発想があってか地元で不知でも、域外では「隠れおつまみ」として人気を博していた。

 

   それが、今回、全英女子オープンゴルフの42年ぶりのメジャーVの渋野日向子の好物が同社の商品だったことから、海内外ともお大騒ぎ。その渋野がプレー中に食べていたスナック菓子名が、同社が販売している「タラタラしてんじゃね~よ!」という駄菓子。 

f:id:koushuya:20190808004820j:plain

   彼女の優勝を機に製造元にマスコミからの取材が殺到。同社は対応できないとして、ホームページにコメントを発表したほどだ。コメントは「渋野プロも弊社商品のユーザー様であったということは大変うれしく思っております」と慶んだうえで、「夏休みの繁忙期を迎えて、社員一同フル稼働の状態でございます。現状マスコミ各社様のご対応・お問い合わせへの満足な対応が困難な状況ですのでご理解ください」と体よく取材拒否していた。これが掲載されているHPも繋がりにくい状況が今でも続いている。

 

 よっちゃん食品は、前述の「よっちゃんイカ」と呼ばれる酢漬の駄菓子と双璧の「カットよっちゃん」も全国で名が知られている。一躍、時の商品となった「タラタラしてんじゃ、ねーよ!」は、スケソウダラのすり身に辛い味付けをした商品で双方とも酒のつまみとしても愛好家に好まれている。この日以降、県内のスーパー、コンビニなど何処へ行っても品薄状態が続いている。その実態を確認するため、早速、現場に出かけてみたい。

 

f:id:koushuya:20190808004859j:plain

 駄菓子好きな渋野は、ほかにも上田昆布(広島市西区)のおやつ昆布「とろべ~!」をプレーの合間に食べるらしい。こうしたことを機に下町の駄菓子文化が復活し、地場産品が人気になることこそ、本来の地域再生、復活なのかもしれない。

 

 つまり、こうしたメジャーな話でなくても、ある日、突然にして夏甲子園の高校野球選手権の出場切符を手に入れた長野の「飯山高校」(残念ながらお相手は強豪の仙台育英に結果はというと意外とも思いたいのだが明日その答えがでる。ここまで公立高校はすべて初戦敗退がなんとも)如く、書道や吹奏楽でも頂点(甲子園)を目指そうとする内外の若人の姿にマンザラ、わが国ニッポンも捨てたモンじゃない。と、希望を持った次第。

 

 小中学校からラッパやトランペットは吹けず、鼓笛隊でもリコーダー(縦笛)とハーモニカだけしか吹けなかった当方だが、ここまで散々「ホラ」を吹いたおかげで、やっとここまでやって来た。吹く楽器やモノを間違えなければ、「タラタラしていても、人生何とかなるモンだ」。そんなことをつらつら考えながら、「旧盆」に仏さまのお迎えとお見送りに、これから地元山梨に向かふ!