「縁と浮き世は末を待て」といわれるが如く、本人も気づかぬまま「ご縁」 の積み重ねによって、人は行きつく処に手繰り寄せられていくもののようだ。
ところで、出典辞書:デジタル大辞泉(小学館)ではこの「縁」の意味を
1 《(梵)pratyayaの訳》仏語。結果を生じる直接的な原因に対して、間接的な原因。原因を助成して結果を生じさせる条件や事情。「前世からの—」
2 そのようになるめぐりあわせ。「一緒に仕事をするのも、何かの—だろう」
3 関係を作るきっかけ。「同宿したのが—で友人になる」
4 血縁的、家族的なつながり。親子・夫婦などの関係。「兄弟の—を切る」
5 人と人とのかかわりあい。また、物事とのかかわりあい。関係。「金の切れ目が—の切れ目」「遊びとは—のない生活」
6 (「椽」とも書く)和風住宅で、座敷の外部に面した側に設ける板敷きの部分。雨戸・ガラス戸などの内側に設けるものを縁側、外側に設けるものを濡れ縁ということが多い。
類語や関連語としては、かかわり(かかわり) かかりあい(かかりあい) ゆかり(ゆかり) 縁(えにし)やよしみ 絆(きずな)などが挙げられている。
「縁なき衆生は度し難し」と言われるように良縁と好機とはあせってもだめで、自然に訪れるのを待つべきであろう。
仏縁のない者は、すべてに慈悲を垂れる仏でも救えない。転じて、人の忠告を聞こうともしない者は救いようがない。あたりを見渡せばそんなわがままな人間が多いこと、多いこと・・・。