久しぶりに元同僚だったSちゃんに連絡を取った。彼は能登出身の生真面目な男だ。取引先の激減が始まった平成初期、金沢、神戸、甲府の営業所が突然閉鎖された。その煽りを受けた営業所の社員はリストラとなり。地元採用の女性職員はクビ。男性社員は希望する者だけが東京や近隣の支店に転勤となった。
これを、当時社内では、営業所の頭文字をとって3Kリストラ呼び、いずれ他の営業所も整理されると皆が震え上がった。そんな時代を知っている現役社員はもう殆どいないらしい。
だからそんな時代を生き抜いて来た社員は60歳定年で、社に何の未練もなくあっさり会社を後にした。嘱託社員で65歳まで在籍する人間はほんの一握りだと聞く。
人情紙風船、いざとなればこんな改革は日常茶飯事だ。社員は唯一無二の大事な経営資源だと言われても、生活、老後や健康は保証してくれない。上下や同僚同士の揉めゴトには積極的に介入しないが、事故、セクハラやメンタルヘルスにはやけに気を遣う。
Sちゃんは大阪で社内イジメに遭い、最後の勤務地となった札幌でも厭な思いをし、アッサリ60歳となって能登に帰ってしまった。その間、当方と長い間プロジェクト(その後部に昇格)に携わり、昼夜を分かたず寝食を共にし、充実したサラリーマン時代を過ごした。
今思えば、相棒や相方に良く当たり散らしたが、自分でもあの頃が、公私ともに一番充実していたようにも思える。過ぎ去りし時代が懐かしい。落ち着いたら、愚妻と一緒に北陸新幹線に乗って金沢あたりで彼に会ってみたい。互いに元気で丈夫なうちに・・・
(今日のおまけ)
今でも彼の人生の切替え方は凄いと思う。価値観の切替えといい、考え方、過去に固執しない姿は到底真似できない。田舎に戻った彼は、今、コンビニで1日5時間のバイトをしながら、無農薬野菜の家庭菜園をやっている。今年の夏野菜の出来も、上々とか。
小学2年生の男の子の孫と、土いじりやお出かけが楽しみだと聞いた。とうとう、最後の最後まで、彼の口から「会社」の話は、一切出てこなかった。