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koushuyaの徒然日記

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

会者定離

宿命

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 出会いは、別れの始まり。あっと産まれて、うっと死ぬる「阿吽の呼吸」。永六輔、巨泉、加藤の乱で一躍時の人となった加藤紘一、その昔「私の病名は『癌です』」と公表した逸見政孝。いずれの方々も逝った。また、事故、事件で、突然、命を奪われる幼子もいれば、妻を亡くして自転車でスッコロンで頸髄損傷でリハビリを続けている政治家もいる。かと思えば、消防庁のキャリア官僚でプロ中のプロと称された政務官が、全くの素人で現場対応力がなく「おんぶ王子」などと揶揄されても長生きする始末。さらに、富山市のように2週間で3人(その後の報道では5人に)も辞職する戯け市議たちもいる。

 

 そして、能天気に惰眠を貪った結果、軒を貸して母屋をとられた組織や会社も身近に沢山ある。一例を申せば、その組織は今や惨憺たる状況で、役員の不倫はもとより、同僚の既婚女性社員を追いかけるストーカーもいれば、夫婦のいざこざが絶えず給料を差し押さえられた者もいる。多聞に漏れず我が息子からも「出世はしたが、この上司はもう勘弁!」と、弱音が聞こえてくる。徳兵衛も人の親「これも人生、これも人生。『人生いろいろ』、人が思うほどそんなに人生は長くない。辞めたら辞めたで違う人生が待っている。わしも辞めたいと思って上司と喧嘩したのは一度や二度ではない」と諭した。

 

 世は悲喜こもだが、やがて遅かれ早かれ、いずる者は例外なく天に召される。この徳兵衛も亦、同じ。「瘤とり爺さん」の瘤をとるには、花咲爺さんの手を借りるしかないが、とった場合は現場復帰が絶望となるなど、その代償は余りに大きく。今は、失意泰然。花咲爺さんはもう来ない。

 

 ここ二年で父母を送り、残された子として、ひとまず、その責は果たしたと思っているが、次は己の番と覚悟し、準備は万端。春先の受診時に「癌」を想定し、遺言、エンデイングノートや少ない財産の目録も書き上げ、ホスピスも予約した。結果、晴れ晴れとした気分となっている。とは云うもののこれは虚勢。この先、自分の体がどんなことになっていくのか想像もつかない。ただ、だからこそ、これからの日々を憂うことなく、期を衒うことなく、別れの日がくるまで、ジタバタせずにいつもどおりに生きたいと願っている。

 

 今週の日曜日は、産まれ故郷での「巨峰の丘マラソン」参加。ぶっつけ本番で一年ぶりに20キロの山間コースを走る。体がもたなければ、このブログは、もう続けられない。

 

(今日のおまけ)

 歳のせいか、病気せいか。忘れることが多くなったことも然りだが、相手の話す言葉も聞きづらくなった。例えば、コンビニの前の客が「ハイ、そこのライターください」と言っているのに「そこのハイライトください」と聞こえる。また、蕎麦屋で客が、酒の肴に「田楽ください」と言っているのが「電話ください」と聞こえる。挙句、病院検査の「ペット」が、病床だけに「ベット」に聞こえる始末。徳兵衛、これでアウトか!!