Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

老~い、医者!

 重病を抱え病気がちの拙者、病院にいけば、待合室はいつのまにかお年寄りだらけ、まだ、来院できるお年寄りはまだマシだ。そんな老人を非難していた当方もとうとう其のお仲間達の一員になってしまった。

 

 元東京家政大学教授樋口恵子の著書『91歳、ヨタヘロ怪走中!』を思い返す。こうしたことを突然思い出すのも「老いの兆候」。

 

 あんなにスっスっと歩けたのに、歩いていてもどうも傍を抜かれる人が多い。そう感じるようになったらこれも老いの兆候。気にしなかったことがいつのまにか急に気になりだした。

 

 遅い、遅い、とにかく歩くのが遅くなった。顎を引いて、骨盤に体重を委ねて肩甲骨を絞りながら背骨をまっすぐ伸ばせば自然と足は大きく前に出る。決して腹背筋の問題ではではない

 

 次に怖いのが、先日も話題に採り上げた「転倒」だ。人生に躓きっぱなしの拙者がい云うのも何だがとにかく老人は転びやすい。多少の段差や起伏や高低差や同じ模様が認識できなくなる。

 

 とりわけ、エスカレーターに乗る時の第1歩のタイミングが上手く計れない。時折、横断歩道のゼブラ模様に転倒する老人を見かけるが、それが当方の勝手な思い込みなのか、過信なのかはよく分らない。

 さらにそれに一番は「忘却曲線」なるものがあって、過去の経験、実体験、知見、学習が生かされないまま「老い」とともに加速度的に進行していくらしい。そして当然ながら老いてくると過去の失敗や経験が全く活かされなくなる。

 

 そして、極めつけは「顔は浮かぶが名前が出てこない」、お年寄りが互いに「あっ、そうそう」はその典型。もっと、重症なのは漢字が書けないことだ。なんとなくごまかして孫の前で漢字を書いて見せるが「ヘンとツクリが逆」なんていうこともあるマーに。 年寄のダジャレに屁理屈、因縁に絡みもその類だ。

 

 ひとつ「想定外」という言葉を良く耳にするが、これ実はご都合主義の極み。自分自身に都合の悪いこと、不便なこと、経験値のないこと、災難や緊急事態に言い訳としてこの言葉を良く使う。まあ、過去の失敗や経験に学ばなかった人々の口先だけの得意技だ。

 

 これ正に思考停止、想像力欠如の典型。お近くにこの言葉を良く口にする人がいたらそれ「老害」。最近は若い人でもこの「想定外」を使う連中がやけに多い。詭弁、弄弁にしか杉ない良太郎!!

 

 「まだ、できる」から「もう、できない」への思考回路の転換は急務なのだ。