Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

とはいえ、人の行く裏に・・

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 そのココロといえば、数あるなかでは、「さくら(肉)」、「佐倉(市)」でもなく誤(ご)答弁の多いお笑いキャラ定着の「桜だ!(大臣)」でもない。行き尽くところは、やはり何といっても「🌸🌸🌸」だろう。昨日に続き今日も引っ張ること、引っ張ること、そんな縁起モノにあやかって「作楽(さくら)」と称して、今宵は桜をテーマにした歌謡曲に興じて眠れぬ夜を明かすことにでもしよう。

 

    この手の歌だけでも、桜(コブクロ)、桜坂(福山雅治)、さくら(森山直太朗) 、それに、当方がお気に入りの(坂本冬美)の夜桜お七、千本桜(初音ミク) にSAKURA(いきものがかり)。でも、さくら(ケツメイシ)には到底勝てない。

 

 まだ、まだ続ければ、サクラ咲ケ(嵐)に、渋いところでチェリー(スピッツ)に地元山梨出身の歌手の(レミオロメン)のSakura 。そういえば 彼等の唄には確か、3月9日という曲もあったな。そうくれば最後には、やっぱり(松田聖子)の透き通った声のチェリーブラッサムを挙げない訳にはいくマイ、ク真木は「バラ」だからオヨビデない!

 

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 さて、今日掲載の写真は、最近訪れた謂れ多き場所の桜だ。この景色、見覚えのある方も多いのに違いない。当方、ついこの間までこの桜 奈美紀の下を何度通ったことか。

 

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   白井のさくらに今井(チ)のサクラ、にいじゅく(新宿)公園の桜木の下にデイサービス帰りのお年寄りが集う。錦糸公園イチョウ公園のサクラに御崎公園の桜吹雪はこれがまた絶景で、JR韮崎駅前の桜を演出するかの如く、遠くに眺むる「茅ケ岳」に、ひと際、郷愁を誘われる。

 

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 やはりこの季節、訳の分からぬ道理や屁理屈をいくら捏ねても、何はなくてもここは「サ!ク!ラ!」に限る。「桜」、「櫻」に、なあ「さくら!」アンチャンも、オイチャンも「さくら」のことが大好きだ!だからこそ、人の往く裏に道あり 花の山 いずれを行くも 散らぬ間に逝く。

 

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過ぎ去りし香梅に未だ桜は咲かず

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    花見に来ているのか、人の群れをみにきているのか、風情も情緒もあったものではない。野辺に咲く一輪の花に心を寄せて、愛でる。それが、今や昔ながらの桜の名所は、平日、ウィークデイの午前中だというのに、人混み、ゴミの山、酔っ払い、ズボンを履いて和服姿や仮装の若者、外国人(花見は半島文化に非ズとして韓国人は殆ど見かけない)に出店の違法営業等々、ここは本当に日本なのかと目を疑う。枝は折るは、根は踏むはで、桜祭りなどとの主催者側と観桜者の思惑と期待と狙いが完全に真逆。

 

   この時期、どこのニュース、報道や番組も桜の花見一偏で各局が足並みを揃え、敢えて「嫌(反)韓キャンペーン」でも展開しているかのようにも見えてしまうから、なおさら番組作り自体がアヤシイ。

 

 当方も隠れた穴場の桜の名所をいくつか知っているが、例えば、山梨と長野の県境のとある場所には季節になると野生の「松茸」が群生する。そこは自分だけが知っている秘匿の場所で、親や家族にも絶対に教えないのと同じだ。天然の松茸もそうだが、人知れず山間に見事に凛と咲く桜は見事だ。旧校、分校跡、ダム、開拓・開墾跡地や墓地・・これ以上お話しすると隠れ名所がバレバレなのでここまでとするが、なにしろ、人の思いや念が残る悲哀な場所(地)の桜ほど見事に咲き誇るのは不思議だ。

 

 でも桜を愛でるときは、集団より仲良しだけで静かに愛でる。これが格別で絶好、絶品のお花見なのだ。都心での観桜は、昼食を「かに道楽」あたりで早めに済ませ、酩酊しないうちに桜をご覧になられた方がよろしい。花曇りや雨の日は桜のピンクと雲が被りあまり綺麗に見えないのは残念だが、朝な夕なに見る桜も格別だ。 

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 先日、とある方から突然のお誘いがあって都内某所に出かけた。今年はお花見ができるとはハナから思ってもみていなかったが、見事に今年もお花見をすることが叶った。お誘いいただいた〇〇さん、〇〇さん、貴重なお時間を頂戴し、当方への見舞がてらのご昼食会の催しにも厚く感謝いたします。

 

 いまから15年以上も前、わざわざ春雨が降りしきる夜に、この夜桜を撮りにでかけ写真を送ってくれた彼の人の今の消息を知る由もないが、携帯電話の待受画面を観るたびに「帰らぬ昔とその人」を懐かしむ。年を取ると過去にばかりに話題や材料を求め、同じ話を何度もしたがるのは年寄りの常だ。何もかもにも鼻をつくようなクドサに定評のある当方も急に老け込んだと思う今日此頃。

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 でも、こうした写真や記録が残っていればこそ、その時代、その場所で、そうした背景に自身が生きた証が残る。さて、さて、来年はこうして桜が拝めるのやら?埼玉出身のショーケン萩原健一68歳)は、惜しくも今年の桜を観ることができなかったが、当方もこれからは1日、1日が大切な時間となる。

 

 いいことなのか、悪いことなのか、わが人生に梅の花は咲いたが、ご当地は未だに桜が咲かない。「梅は匂い、桜は花、人は心ぞ、振り(フリ)いらぬ」お花見と裏腹に病を押して職安での仕事探しは未だに続く。

嗄声

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 これは「させい」と読みます。かすれ声、ハスキーといった方が解り易いでしょう。人間の体はホルモンに限らず、臓器の一部が微妙なところでバランスをとりながら自然に体の均衡を保てくれています。普通、それを自然治癒力とか自己免疫力とかの言葉に置き換えますが、身体にひとたびメスや薬剤が入ると、そう簡単に身体は元に戻りません。

 

 投薬も治療もそうですが、なにかを引き換え犠牲にしないと病気は治らないのです。こうしたお話をすると、また、いつもの病気と老いの話?「クドクて、しつこくて、また同じ話?もう、うんざり!」と嫌気を差されそうですが、しばしお時間を頂きまして・・。

 

 術前の同意書には、たっぷりと主治医からご説明をお聞きし、術後の後遺症、副作用や合併症のお話に対しは納得してサインいたしましたのですが、喰うに食えず吐くも吐たり、それに当方このところ次第に「お声」が出にくくなりまして・・。

 

 キッチンで家内が食器の水洗いなどをしているときなどは、ほとんど当方の声はかき消され、コミュニケーションがとれないことによってストレスも倍加するのでございます。

 

 空腹感、満腹感は消化器官にかかる問題なのでございますが、そのうえお話も通じないとなりますと、そのフラストレーションたるや皆様にはお分かりいただけないことでしょうね。咽頭がん喉頭がんの患者の予後は想像を絶します。声に罹る病気だけでも、声帯ポリープ、声帯結節、ポリープ様声帯、声帯嚢胞、乳頭腫、喉頭アミロイドーシス、声帯白板症、声帯血管腫などさまざまでございます。

 

 当方の場合、右側の声帯がまったく機能しておらず、左の声帯だけが一生懸命頑張ってくれているそうで、誤嚥を防ぐために懸命に「左の君」が動いてくれているそうです。簡単に喉、咽頭、声などと片づけて「耳鼻咽喉科」で診察してもらえばと病気が治ると思うのは大間違いのようでございます。

 

 歌手の方々などは唄うことがお仕事ですから「お声」が出なくなったら、死活問題でしょう。時に、昨日は朝一番からご紹介いただいた某大学医学部付属病院の「ボイス・クリニック」でお喉を診て頂きました。 結構、この治療も奥深いものがございます。

 

 これまで、当たり前のように大声を出してお話できたときは、何の有難みもございませんでしたが、今回の診療、検査を通じて「声が出ること」の大切さを改めて知った次第でございます。「音」は、繊細さ、微妙さ、音域、領域、周波数など微妙な要素が絡み合って「オコエ」になります。「お声」の出る世界はガラス細工のようなもので、治療によっては「お声」は簡単に壊れてしまいます。

 

 ギャル曽根さまのような大食いの方がお喰べにならなくなった時、歌手がお歌を唄えなくなった時、咄家がオシャベリになれなくなった時、それはもう凡人の想像を絶する世界なのかもしれません。願わくば、あのカナリアの囀りをもう一度聴きとうございます。

これが表現、報道の自由だって?

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 テレビの情報番組やバラエテイを観てもニュースを見ても、まあ、なんとしょうもない内容ばかりが垂れ流されているのか。箸が転んだとか、92歳の高齢者が鍬でイノシシを仕留めたとか、どうでもよい情報ばかりだ。

 

 世界情勢は時々刻々と変化し、いまこの時も日本の上空をミサイルが飛び交い、近海で有事が勃発するかも知れないというのに・・。ニュースは相変わらず桜の開花や桜前線が北上中だの、何処そこの店のラーメンやグルメが絶品だの、と、日常生活には全く関係のないことばかりが、お宝情報として提供されている。

 

 料理、クイズ、素人カラオケ、ドラマに至っては「相棒」や「科捜研の女」のようにクドイくらいに毎日再放送が繰返される。そうした背景には番組製作コスト打の圧縮、スポンサーのTV局離れなどがあるのだろうが・・・。こうも粗製乱造の番組を見せられる視聴者もう辟易、我慢の限界だ。要は、有閑マダムやお暇なお年寄りの方々向けに番組が組まれているから余計に面白くない!。そういうと「だったら観なきゃいいんだ!」と切り返してくるから尚更タチが悪い。

 

 しかも、番組の内容がどの局も似たり寄ったり、チャンネルを変えるとまた同じ情報。イチローの引退会見に至っては翌週まで各局が会見内容を引っ張る始末。野球や相撲にスポーツコメンテーターが一言「コメント」すれば、それについてネットや情報誌が大騒ぎ。

 

 こうなってくると、視聴者の知的・教養レベルは下がるに下がり、多様な価値観を持たないまま単一思考となって如何様にでも思想や心情をコントロールできてしまう。新聞や各局の世論調査もそうだが、作り手の意図によって、どうにでも質問内容は変えられるうえ見せ方によっては世論誘導や心象操作も容易だ。

 

   先の沖縄の県民投票もそうだったが投票者の過半数が「反対」としたが、全県民の過半が反対したわけでもない。でも、報道は全県民の意思として、ことさら「反対」を強調する。また、時として中には辺野古の埋め立てに反対する「プロ市民」もいて、あたかも地元住民が進んで寸暇を惜しんで、こうした運動に積極的に参加していように見えてしまうトリックもある。

 

   こんなことが横行しはじめると、真実や真相はどんどん遠ざかり、議論や問題の核心がかき消されてしまう。テレ朝の「朝まで生テレビ!」もそうだが、全く焦点ボケの議論が毎回繰返されている。だから内容に迫力はなく、これはもうバラエテイ番組に化してしまって到底朝まで見る気もしない。

 

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    それほど、視聴者や大衆と云うのは、響きの良い言葉に弱く、移ろい易く、印象操作でコントロールしやすい。だからこそ国も、政治も、政権もそこを突いてくる。豚は死ね!!だ。

星野源という男

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 詩も、唱も、和歌も、句も、謳も、歌もそうだが、ここで今日は敢えて「歌」を採り上げたい。サザンオールスターズの桑田圭祐、荒井由実、それに先日話題にした竹内(山下)まりあ等々。人類がここにくるまで何千万回、何億回の曲を作ってきたのだろう。でも、それぞれ個性があっても、何一つ同じように楽曲がカブッてこない。水泡のように生まれては消えていく歌手や楽曲のなかで、生き続けるには、何かの魅力がなければ心に残れないだろうし、歌手として生き残ることもできまい。

 

 夕べ、タイトルの「星野源スペシャル」と云う番組をNHKが放送していたのをぼんやりと視聴した。歌に限界を感じ、閉塞感のなかで産まれた楽曲がヒットし、それに伴ってファンも増えたそうだ。やっぱり、そこまでいかないと何もかもが生まれないと、インタビューで答えていた。ナルホド上手いことを言っている。そこからマジメに聴き始めた。

 

 誠実で、謙虚で、まじめで、真剣に、そして驕らず、「歌」などは所詮「歌」でしかないと自身を見つめ、歌詞にその答えをぶつけ心掛けていると曲作りの難しさを訴えていた。

だからこそファンを魅了する歌が生まれるのだろう。「ハロー・ソング」や「アイデア」の歌詞の一つひとつを拾って試てみると、そのことがよく分かる。

 

 行き詰って、壁にぶち当たって、挫折して、困惑して、そんな状況にあってこそ寄り添う人や傍らの温もり感じることができるのだと、心情を吐露していていた。でも、その一方で、この世で一番嫌味で嫌いな人間は「自分に酔っている人」だとも言っていった。なるほど、いつも主人公気取りの「自己陶酔型」の人間は傍で見ていても気持ちのいいものではない。

 

 面白く感じたのは、彼が「ダイハード」の主演のブルース・ウィルスがどんな局面や困難に陥いてもユニークさや冗談を忘れない。大けがをして手術室に入る時も「二度は死なないから、じゃあ、行ってくるぜ!」。そんな生きざまが素敵で憧れだとも評していた。歌も人生もそうありたいと、語っていたのも印象的だった。

 

 クモ膜下出血で一度は死の淵を彷徨った彼の心情は、「アイデア」のBメロとCメロによく表れている。そして「ハロー・ソング」の一番にもよく表れている。ご興味のある方はその歌詞を読み返すと「なるほどね」と思うはずだ。

 

 「おごり」こそが、人の魅力を削ぐ。当方にとっては、もう手遅れかもしれないが「謙虚さ」と「誠実さ」と「素直さ」と「感謝の念」あればこそ、その人の価値を決め、その人を魅了する。