Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

「ご縁」とは?

 「縁と浮き世は末を待て」といわれるが如く、本人も気づかぬまま「ご縁」 の積み重ねによって、人は行きつく処に手繰り寄せられていくもののようだ。

 

ところで、出典辞書:デジタル大辞泉小学館)ではこの「縁」の意味を

 1 《(梵)pratyayaの訳》仏語。結果を生じる直接的な原因に対して、間接的な原因。原因を助成して結果を生じさせる条件や事情。「前世からの—」

 

 2 そのようになるめぐりあわせ。「一緒に仕事をするのも、何かの—だろう」

 

 3 関係を作るきっかけ。「同宿したのが—で友人になる」

 

 4 血縁的、家族的なつながり。親子・夫婦などの関係。「兄弟の—を切る」

 

 5 人と人とのかかわりあい。また、物事とのかかわりあい。関係。「金の切れ目が—の切れ目」「遊びとは—のない生活」

 

 6 (「椽」とも書く)和風住宅で、座敷の外部に面した側に設ける板敷きの部分。雨戸・ガラス戸などの内側に設けるものを縁側、外側に設けるものを濡れ縁ということが多い。

 

 類語や関連語としては、かかわり(かかわり) かかりあい(かかりあい) ゆかり(ゆかり) 縁(えにし)やよしみ 絆(きずな)などが挙げられている。

 

 「縁なき衆生は度し難し」と言われるように良縁と好機とはあせってもだめで、自然に訪れるのを待つべきであろう。

 

  仏縁のない者は、すべてに慈悲を垂れる仏でも救えない。転じて、人の忠告を聞こうともしない者は救いようがない。あたりを見渡せばそんなわがままな人間が多いこと、多いこと・・・。

病からの鬱かも?

 産後鬱やマタニテイブルーはよく聞くが、どうやらこれだけの病気と歳を重ねてくると、厭が応でもこの「病気うつ」や「高齢者うつ」になる。一歩間違えれば若年であっても「認知症」や「引きこもり」と似たような症状が発現する。

 

 夜眠れない、気がかりなことが頭を何度も過る。これって医学的には自己免疫力を強める副腎皮質ホルモンのコルチゾール低下によるもので、「疲れやすい」「疲れが取れない」「常にだるい(慢性的な疲労感)」「人と会うのが億劫」「会話を忌避して無口になる」「何もやる気が起きない」といった症状が出たら要注意だ。

 

 レジ袋2つも3つもある薬を毎日服用し、ガンをはじめ既往症が診断書欄に書ききれないくらいあるのが現実の当方の姿。正直、それにいつ癌が再発、転移するかに怯える毎日、歳も歳だけに最期はどこでどのような末期を、連れ添った長きに亘って障害を持つ内と一緒に迎えるのか?残された時の淋しさ、それを考えると正直なところ不安と恐怖は募る。

 

 ここまでカラ元気で頑張ってきたが流石に心身ともに疲れてきた。それの裏付けに表に出るのが億劫になり、何もする気が起きず、遺書もエンデイングノートすら書き置く気にもならず、ただ、ひたすらベッドで横になっているだけの愁訴な日常がある。

 

 折しも、ネットで妙な記事を目にした。

死期が近づくと現れるスピリチュアルなサイン」として、

 

 

 などが挙げられるそうだが、この中にいくつか身覚えのある項目がある。

 

 時として季節の変わり目にはこうしたメンタル面での乱調があるようだが、特にがん患者は治療や薬の副作用によるホルモンの変調によることが指摘されている。どんな強い精神力を持った人間でも当方のようにこれだけ長い時間大病と付き合わされると、さすがにネガテイブな凹んだ人生観を持たざるを得ない。

 

 めまい、ふらつきに卒倒し頭を強打することも何回か?一時は救急車で搬送されたことも、確かに自分自身でもここまで体調の不良や変調を来すと尋常ではないことが解る。

 

 どうやら古希を過ぎてから人生の季節の変わり目(節目)を迎えているようだ。ここは、歩みを止めてしばらくじっくり休むことにしよう。これが吉と出れば良いのだが。

いかにも、ありそうな話!

 ピアスとパーカー・フードとサングラスに黒ずくめに手袋にタトー。これって傍から見ればいかにもっていう感じですな・・・

 

 反面、タトー一つを取ってみても、社交ダンサーやバレリーナ、フィギアスケーターなどより芸術性の高みを目指す方々や接客業の中でもすし職人、名門ホテルマンや板前にはそうした風体の方はあまり見かけない。

 

 そもそも、刺青については、江戸時代に罪人に対して「罰」や「犬」の字を入れる処罰があった。ただ、一方で火消しや鳶職や大工など肌を露出する事が多い人達が粋なものとして、また、船頭などは「どざえもん」になった際の身元確認として自身の証として彫った。さらに地域によっては神仏への願掛け(起請)として刺青を彫る文化があったらしい。ただ、縁起が悪いからという理由で侍が刺青の入った身体を斬る事を嫌った事もあり、町人は辻斬りからの自衛目的でも入れていたとも聞く。

 

 『孝経』の一節に「身体髪膚これを父母に受くあえて毀傷せざるは孝の始めなり」とある。これが、明治時代になって『教育勅語』にも引用された事で国民の基本認識として周知されている。さらに日本では儒教の影響が強く、儒教の中にある「親からもらった身体を傷つけることは親不孝なこと」という教えが観念的に根付いる。これボデイピアスにもそっくりいえる話だ。長袖やフードを身に着け隠すのだったら最初からスンナ!

 

 ヤクザが刺青を彫るのは、一般(堅気の)社会と決別することを意味している。だから一般大衆が集まる、銭湯、サウナ、プール、温泉施設などでの刺青禁止ルールが今でも根強く残っている。

 

 ファッション感覚で行うピアスもタトーもそうだがどうやら内向的な人間はこうしたことを嫌がる。ただ、心に深い闇を持っている人や、やたらと感受性の高い人はこの限りではない。一般的に外向的で自己承認欲求の強いまたは自己顕示欲が強い人(パフォーマー)や虚勢を張って相手を威嚇したがる方々にピアスもタトーを入れる人が多い。

 

 まあ、一度やったら一生ものだから「もう飽きたあ」といって簡単に消せるはないでしょう、ピアスとて外した処は穴が残りそこから感染症を引き起こすことだってある。しかもこうした金属類、入れ歯もそうだが病気治療のためのMRI検査とて受検できない。だからことは命に係わる問題なのだ。

 

 今日のテーマをまとめると、こうした連中は「見せつけたいから。」、「怖がってもらえる。」、「優位に立ちたい。」など自己承認欲求型人間の典型だ。これに対してピアスもタトーも「個性的・ファッション」だと反論する輩も多い。だがこれだけ世に蔓延ると、これはもうどこが個性的で。どこが個別個人的なことでもない。それにしても何ともちっぽけでおツムの味噌が足りない人がこの世の中には多いのだろうか。

お(小)池にハマって

 ヘチマの棚に内湯のなかった当方の幼少期にたらい桶で浴びた行水を、いまでも在りし日の思い出と大切にしている。

 

 その後、銭湯に通うようになり、湯上りのフルーツ牛乳が美味かったこと旨かったこと。脱衣場の大人たちも何故か誰もが腰に手を当てて牛乳を飲む姿が不思議だった。

 

 その後、実家の猫の額ほどの庭にセメントで手作りの池を作った。何日も灰汁抜きををして水を入れ、金魚や川で釣ったフナを飼育した。が、冬を前に一匹だけ氷の下で金魚が泳いでいた。その冬を前にこんな小さな池に近所の幼馴染の子どもが溺れ慌てて両親は池を埋めた。また、燐家の井戸に堕ちた子供もいた。大人たちは大騒ぎ、C国の「どうしてそんなに堕ちるのか」の事象も我が国でも同じようなことが起きていた。

 

 さて、今日のキモ。「池を作りたがる人は不幸になる」だ。庭に池を作るのは凶とされてる。風水で調べると、玄関先はまぁまだマシとして基本的に池を作るのは凶とされているそうだ。

 

 昔から「庭に水(池など)をもってくることは、財をもたらす」と考えられていたからだ。でも、透明の衣装ケースなどに水を入れて、金魚やメダカを泳がせ庭においておくのも凶事とのことだ。

 

 普通はどの戸建ての家屋敷の東と南にとても庭がある。どうやら、庭に池というよりも、水気と相性の悪い方位に水の溜まるものがあると凶相となりるようだ。「水」がふさわしい方角は北だそうだが、池を作らぬに越したことはない。

 

 そして、どうやら庭には水関連のものは置かないほうがよさそうだ。さらに、水が循環せず濁りぱなっしで、きれいで澄んだ水でなければ、不吉や不幸を招くらしい。

 

そういえば、昔実家のご近所に池を持つ邸宅が多くあった。でも、今となればその池は埋め尽くされ、事業や商売は失敗し、奥方様とは離婚、家屋は朽ちて誰も跡を継ぐ者もなく住人が棲まない惨憺たる状態になっている。

 

 池などの水もの、水洗トイレ、風呂、台所などの水回りの方位よくよく考えた方がいい、それをキッカケにあなたのご家族が不幸に見舞われるかもしれませんぞ。

 

 無為無策の小池さ~んは、早く埋め立てた方がよろしいかもネ。観賞魚(熱帯魚)用の水槽、金魚鉢などの扱いにも十分ご注意アレ!!

松本の山賊焼き

 昨日のブログは山梨ネタばかりで申し訳ないので、今日は「ブームの深追い」ではないが、懐かしいかな当方にとっても第二の故郷。ゆかりある長野県松本市の「山賊焼き」を採り上げてみた。

 

 今からおよそ40年以上も前、義父に連れられて、和風割烹「しずか」の先旧映画館だあっやナンンチャラ小路、裏町、西堀界隈の飲み屋街を飲み歩きした。しかも連れ立って昼過ぎに駅ビル一角の食堂から始まって日付が変わる頃までお付き合いさせられた。

 

 義父は大学卒業後、某電力会社に入社。まあ立身出世を画に描いたような人生だったが、退職を機に傍系の子会社を仲間と立ち上げたが、それもつかの間、体調を崩し昭和57年大晦日に市内の「相澤病院」で息を引き取った。

 

 そんな義父との思い出はカウンター席に座り、白の割烹着がお似合いの若女将さんからの盃を傾けながら頂いた「山賊焼き」だ。たわいもない鶏肉を揚げた料理だが、これが実に美味く、その味はしっかりと頭に残っている。今となっては儚くも懐かしい思い出となっている。

 

 食材は、長野県産の「信州福味鶏(トリ)」を使う。最後に市内の百老亭のレシピをご紹介してみたい。

 

材料と分量5人前

・福味鶏 300g

しょう油 100㏄

・酒 80㏄

・おろし生姜 大さじ1

・おろしにんにく 小さじ1

・片栗粉 適宜

・作り方・調理方法

 肉をできるだけ均一の厚さに切って、調味料を全部合わせて鶏肉を漬け、30分位して片栗粉をまぶして、160℃の油で揚げて完成。

 

 調理のポイントとしては、「片栗粉をつけてからしばらく寝かせ、もう一度片栗粉をつけてから揚げること」。思い出の逸品だで・・!たべてみやんセ。

 

 そのほか、「まつかのウナギ」に「たけし屋の焼きそば」、「小林のそば」に「小松の牛乳パン」や「味噌パン」などここ松本に来なければその味は分からない。