Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

HIROSHIMA

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  今日のブログアップもう少しお待ちください。乞うご期待!

 

 おまちどうさま、さて・・・

 今日はアンジェラ・アキ(安芸)がテーマです。さあ始めましょうか。当方も含めての家族も、余程、安芸(広島)にはご縁があるようで不思議でならない。故郷のミっちゃんは、若い頃、友達の結婚式で知り合った彼(NTT西日本)と一緒になって広島に赴任したのがご縁の一歩め。

 

    その後、子供たちが結婚する前にと出かけた家族旅行先が広島。ムジナが出そうな山中の広島空港からレンタカーのシーマを借りて長男の運転で、安芸の宮島厳島神社、焼き立ての紅葉まんじゅうに抹茶、アナゴ丼、錦帯橋原爆資料館平和公園路面電車、ミっちゃんの広島お好み焼きと熊野筆など、安芸るほど楽しんだことなどが思い出に残っている。また、公務では広島には何度も出張に出かけ、今宵は、と、銘酒「竹鶴」や「賀茂鶴」を大いに愉しんだ。

 

    それ以上に驚いたのは、長男は赴任先が広島で刑務所近くの社宅に住んでいて、何度か足を運んだことがある、その上、長男は広島から嫁をとり、長女は広島に嫁いだ。何たるご縁、因縁、そしてまだ続いたのは、その昔、当方が子会社の役員をやっていた頃に新規採用したMちゃんが職場結婚して夫婦共々広島に赴任。彼女夫婦は、一度は子供を諦めたが、青天の霹靂、めでたくも一篇に男女の双子に恵まれ、今や親子ともども熱烈な広島カープファンになってしまった。

 

   そんな彼女から一昨日、当方宛てにお見舞いが届いた。それには直筆のお手紙と折鶴が添えってあった。なんと心優しい心遣いだろう。何百、何千の励ましの言葉より、手紙の一文字、一文字に心がある。文を読むにつれて泪で文字が霞む。当方一見、明朗快活に見えるが、実は不器用で人づきあいが苦手だが情には脆い。

 

    がんを宣告されても、当方のことなど気に掛けてくれるような人とも付き合いもしてこなかったので、温かい励ましなど期待もせずいじけていた。ところが、あに図らんや術日が近づくに連れて意外な人から多くのお気遣やお心遣いを戴いた。こんなつまらない男でもイザとなるとこんなにも多くの友人や知人がいたのだと、驚かされるばかりだ。こんなことがあって。今はワガママし続けた自分に反省しきりだ。

 

    ならばと、元気になって今度は当方が皆さんに恩返しをするのだと心得ている。だから、それまで首を長~くして待っててね。「ありがとうモリ&Mちゃん!」に佃煮。

 

(今日のおまけ)
   贈られてきた折鶴は、広島の折鶴タワーで買い求めたものだとすぐに判った。防弾少年団とかいうグループが原爆のTシャツを着たとか言って世を騒がせているようだが、広島の地に立つと、言い知れぬ空虚感と悲しみを憶える。

 

   かの地(HIROSHIMA)には、この地に立った者やここで暮らす人々にしか分らぬ空気と雰囲気がある。当方もこんな境遇となって、この歳になってやっと人の心や情(ナサケ)が感じられるようになった。今となって、すべてに感謝、感謝だ。「ミ・ナ・サ・ン・ア・リ・ガ・ト・ウ・ゴ・ザ・イ・マ・ス!!」だ。

構造不況業種

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   ソニー銀行然り、イオン銀行然り、セブン銀行然り、銀行に限らず今や保険も証券取引もその多くはインターネット取引で、お客が来店することや行員や職員が得意先回りをすることも無くなった。つまり非対面チャネル拡大によって、維持コストがかかる店舗やATM等は極力削減しようとしているが、今やこれが金融機関経営の主流となっている。

 

   他行店舗やATMの相互利用や銀行休業日を平日に設けるようにするのもそうした流れの一つだ。ひと昔前までは、仰々しく「△△銀行○○支店××月×日オープン」などといったチラシが周辺地域に配られ、開店当日、頭取や支店長それに首長や地元の名士などの面々が顔をそろえて賑々しくテープカットをしたものだ。そうしたアナログ的セレモニーの光景は今や遺物にしか過ぎない。

 

   預金、貸出、為替は金融機関の三大業務と言われるが、今や仮想通貨で決済する時代、ローンも融資も顧客パソコン画面からの入力データを審査するだけだから、三大業務の取扱いを銀行に限る必要もない。ただ、銀行には公共性と信用力が欠かせない為、当局もむやみに銀行免許を認可(交付)しない。でも、最近は流通系を中心にわんさかと銀行を設立している。それほど金融機関というご商売は旨味があるらしい。

 

  その一方で駿河銀行をはじめ西武信金などお粗末な銀行も現存するわけで、特に、地域金融の雄とまで評されたスルガに対しては何千億円もの金が支援投入された。事件発覚まで何を見て、何を監督し、何をもってこのスルメ銀行を地域の優良行としたのか分らない。日本国内の金融機関はオーバーバンキングと言われてから久しいが、スルメやタコが一、二匹消えたところで日本経済に然したる影響もあるまいに・・お粗末なお話としか言いようがない。

 

   まだまだ地域金融機関の再編淘汰は進む。そりゃそうだわな、地銀、信金、信組などが本店を構える周辺の街並みは、全国各地の何処でもがシャッター通り、閑散としたアーケード街に金融機関のウィンドウや誰も来店しない店内に灯りが光々と輝いても仕方ないだろうに。

 

   もはや昔ながらの地域金融機関のビジネスモデルはとうに崩壊していて、その旧態としたモデルに一握りの役員、何千人もの行員・職員とその家族がしがみついているようにしか見えない。まさにこれこそ構造不況業種だ。そんな金融機関が立ち行かなくなるのもそう遠くはない。

 

(今日のおまけ)
 ネット決済がこれだけ進歩しキャシュレス化がこれだけ普及すると、もはや現金を持ち歩く必要性は災害時や闇取引くらいで、日常生活には全く影響がない。そうなると貸借は数字の移動だけで済むので、今後は、まず小銭を持たなくなる、そして小型紙幣から大型紙幣が順次市場から消えていく。となると、小銭入れや財布の需要が減りカードケースやカードホルダー売れる。

 

   皮革需要の高かった財布が売れない→革製ベルト・バックも値下げ→牛馬などの家畜一頭単価の引下がり→食肉製品の値下げ→消費拡大→景気上昇となる。つまりキャシュレスによって景気が良くなるかもしれない。ただ、その分現金輸送の機会が減るので日通や綜合警備保障の売り上げが低迷→同社や関連株の下落によって、これが景気の足を引っ張りかねない。

 

   とうとうこの徳兵衛、つまらないことを考えるようになってしまった。どうしよう・・。

漂流ニッポン

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   街には、魚屋もなければ八百屋もなくなった。帽子屋、はんこ屋、下駄屋にパン屋、ふとん屋、乾物店、米穀店、酒屋にタバコ屋。昔は近所の若い衆がタバコ屋のミヨチャンに会うために足繁く煙草を買いに行った。そんな幼い頃の風景は、今では見られない。

 

   地場のスーパーが隆盛を誇ると同時に魚屋や惣菜屋が次々と店を閉めた。その地元のスーパーでさえ東京資本のヨーカ堂ダイエージャスコに席巻されて店を畳むこととなった。駅前、中心部の繁華街でさえ人通りは少なく、買い物客もまばらだ。次々と店を閉められると困るのは買い物難民と言われる高齢者だ。

 

 公共交通の便が悪い田舎では、車を持たない高齢者にとって事態は深刻で致命的だ。長い道のりを延々と歩きながら中心街や駅前の百貨店の地下街まで行かないと食材が手に入らない。徒歩が故に持帰る買い物は限られ、雨でも降ろうものなら買い物すら出かけられない。夏の暑い盛りも吹雪が舞う極寒の冬でもこれを続けなければ高齢者の命は繋がらない。

 

 そのデパートさえ売り上げ減少から今や撤退、閉店を余儀なくされてしまった。路地裏から聞こえた子供たちの遊び声はいつしか消え、野良犬や野良猫の姿も見えなくなった。近所から漂ってきた焼き魚の匂いや味噌汁の香りも遠い昔の話。気が付くと近隣の小中学校は相次いで閉校に追い込まれ、跡地は役所の出張所となっている。ダダ広い校庭は来庁者向けの駐車場に解放されている始末だ。

 

 いまでこそ、コンビニが弁当や食材をデリバリーしてくれるようだが、近隣地区の全てを網羅している訳でもない。でもそのコンビニエンスストアでさえ、外国人を雇い入れて24時間営業をしている。はて、こんな片田舎で深夜営業する必要性が何処にあるのだろうか?誰のための、何のためのコンビニ(利便性)なのか大いに疑問が残る。

 

 地元経済や老舗をガタガタにした通販やカタログショップもネットショッピングの普及で窮地に追い込まれた。その一方で老人の独居化は一段と進み、赤ちゃんや子供の姿を見るのも稀となった。少子高齢化は加速度的に進み、高齢となった町医者も相次いで亡くなり閉院、老人は一旦病気ともなれば死を覚悟しなければならい状況がこれからも続く。

 

 国内産業、経済活動はもとより介護、福祉や建設、医療現場でも人で不足が相次いでいる。右肩上がりの高度経済成長時には「産めよ、殖やせよ」で回転が効いたが、今や低成長期、次々と成長期にあった枠組みが崩れていく。そして、とうとうわが国日本も移民を受け入れざるを得なくなった。公表されているだけで128万人もの外国人がわが国にいて毎年1万人近い外国人が行方不明や失踪している現実がある。当然、この先、わが国の治安は悪化し健康保険制度や年金制度などの制度も「成りすまし」や「偽造証」で税金が本来の目的とは違うところで使われ、社会保障制度の崩壊も近い。もはや、もうメイドインジャパンなど、胸を張れる時代が来ることもない。

 

(今日のおまけ)
 Gメン、フーさん(ちゃん)、ハンメ、フルル、徳さん、ハーさん(ちゃん)、モジュモジュ、タケちゃん、マルフル、先生、あなた、お父さん、オヤジ、ジジにジージ。これらは産まれてこの方、当方につけられたあだ名や呼び名。どれもこれも想い出のある愛称だが、いまや「患者さん」と呼ばれるのが一番馴染む。

イタイ話

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 先週日曜日のマラソン大会を終えて、翌日にはさほどでもなかった筋肉痛が今日になって出始めた。これ昔は筋肉層内に乳酸が溜まって痛みを惹き起こすと考えられていたが、実はこれは迷信で筋肉痛は筋繊維の断裂から生じることが判ってきた。つまり、急激な運動や繰り返しの運動により筋繊維が耐えられず断裂して、それを修復にかかる時に痛みが生じるというのが通説となった。

 

 痛みは若返りのためであって、決して老化によるものではない。高齢者は1~2日経って筋肉痛が出ると言われているが、それは真っ赤なうそで、日頃の運動不足によって修復に時間がかかるのであって年には全く関係はない。

 

 筋繊維の修復を早めるには、運動直後にアイシングをするか温めるかのどちらかだ。整形外科医に聞いた処、温めて炎症を促すのがダメではなく、それを鎮めるためのアイシングがダメではなく、患者にとって「気持ちイイ!」方を選択するのがベストだという。したがって、運動直後に水風呂に入るのもよし、熱めの風呂に入るのもいいが当方は専らぬるま湯に長時間体をつけると痛みも和らぎ快復も早いような気がする。

 

 ついでに、かかりつけの神経内科の医師に聞いた処によると、痛いと感じるのも痒いと感じるのも痛みの同一線上にあるという。つまり痒みが昂じるとそれはやがて痛みとなる。そう考えると「アトピー性皮膚炎」で辛い思いをしている方は、常に痛みに晒されているということになる。

 

 手が届かぬ背中の痒みに「孫の手」を使って掻いて「ああ!気持ちい!!」などと侮るなかれ、その気持ちよさはやがて激痛となることを心得るべし。さわさりなんお腹にメス入れられたら痛ぇだろうな・・・。腹切りの手術まであと3週間。

 

(今日のおまけ)
 当方もそうだがウォーミングアップもせずにいきなりレース(マラソン大会)に臨む参加者も多い。それに運動後にクーリングダウンする選手も少ない。でもこの事前事後の体へのケアが大切で、そうしたことを怠った参加者に限って、レース中にトイレに行ったり、栄養補給不足によるガス欠を起こし易い。

 

 これから長距離を走るのだからレース前に走るのはもったいないと考える方も多いようだが、これは大間違い。ウォーミングアップにより体を馴染ませ、排泄と補給を促すことができる。自らの心身に対して「さあ!いまから行くよ」というのがウォーミングアップ、レース後「良く、頑張ったね、お疲れちゃん!」というのがクーリングダウン。そう考えると事前事後の大切さがお分かりだろう。

 

   でも、事前事後や本番に限らず同じ運動の繰り返しは体に悪いと、当方が「甲府ジョギングクラブ」に在籍していた頃、指導に当たっていた鹿屋体育大学(当時:山梨大学教育学部講師)の植屋先生の教えをふと思い出した。毎度、毎度の繰り返しの人生には成長がない。

現役最後の徒競走

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 天気にも恵まれ、穏やかな晩秋。術前の体力づくり、気分転換と手術成功の「願掛け」を兼ねて茨城県坂東市までマラソン大会に朝早くから出かけた。ハーフマラソンとしては4年ぶりの再挑戦、と同時に健常者としては最後のレースにもなる。練習もせぬままブッツケ本番、15.6㎞地点には関門制限もあって、スタート前から完走できるか不安も募ったが、何とかゴールテープを切った。くどいようだが五体満足でのマラソンとしては最後の大会。心に残る印象深い大会でゴール後には胸がこみあげ、こうして動ける自分の体とお別れかと思うと残念でならなかった。

 

  さて、思えば産まれてからこの方、登山、サイクリング、ウォーキングにマラソンと走行、踏破距離は多分地球一周くらいはいけているのではないかと思っている。当方(我が輩)はどちらかと頭で考えて動くというより、動いて失敗して後から学習するタイプ。でも追われて動くと動きが乱れとんだ失速を招く。

 

 この追われて動く、マラソンでいえば関門制限だ。昨日のこの大会にも初めて関門制限が設けられた15.6㎞を130分以内で通過しなければならない。これまで一度も関門制限にひっかかったことなどもなく、関門を意識したこともなかった。ところが8キロ前後の折り返した地点で、何やら怪しげな「女性中心の全身黄色づくめの悪魔のカナリア軍団」が「グアンばってー下さい!」と優しい声を選手にかけながら向こうからやって来る。ことあろう、これ主催者が用意した8分/㎞で走る関門ライン集団。その後には収容バス、パトが続く。この光景と恐怖感はハーフを2時間以内で走るシリアスランナーには到底味わえない。

 

 真後ろにこの声が聞こえたらアウトだ。必死に関門まで逃げた。無事通過したのもこのお蔭ですっかりペースを乱し、通過後はウォーキングの連続でゴールは2時30分余り。これまであった大案山子の沿道での魅力だったが、違った意味で緊張感を味わえる大会だ。

 

 再びこうしたスポーツの楽しみを味わいたいと痛感した1日だった。

 

(今日のおまけ)
先日の歯医者の先生がいったことが言いえて妙。歯医者がいうから妙に納得。「徳さんねぇ・・消化器ってね、食べ物が口から入って、消化されてお尻りから出るのね。その間、消化しながら栄養分を吸収するの。ただ、そうしたことを毎日機械的に体内でやってるわけよ!だからね、どちらかというと自分の臓器でありながら自分ではないの。自分は脳とか心臓とか肝臓にあって、消化器はその下請けのような臓器なのよ・・だから、無くなってもあまり心配要らないんじゃなあい」、「だから、歯もそんなに丁寧に治療しなくてもいいのよ」、「じゃあ、今日で治療はオ・ワ・リ」、「手術頑張ってね」ですって。