Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

漂流ニッポン

f:id:koushuya:20181114101318j:plain

   街には、魚屋もなければ八百屋もなくなった。帽子屋、はんこ屋、下駄屋にパン屋、ふとん屋、乾物店、米穀店、酒屋にタバコ屋。昔は近所の若い衆がタバコ屋のミヨチャンに会うために足繁く煙草を買いに行った。そんな幼い頃の風景は、今では見られない。

 

   地場のスーパーが隆盛を誇ると同時に魚屋や惣菜屋が次々と店を閉めた。その地元のスーパーでさえ東京資本のヨーカ堂ダイエージャスコに席巻されて店を畳むこととなった。駅前、中心部の繁華街でさえ人通りは少なく、買い物客もまばらだ。次々と店を閉められると困るのは買い物難民と言われる高齢者だ。

 

 公共交通の便が悪い田舎では、車を持たない高齢者にとって事態は深刻で致命的だ。長い道のりを延々と歩きながら中心街や駅前の百貨店の地下街まで行かないと食材が手に入らない。徒歩が故に持帰る買い物は限られ、雨でも降ろうものなら買い物すら出かけられない。夏の暑い盛りも吹雪が舞う極寒の冬でもこれを続けなければ高齢者の命は繋がらない。

 

 そのデパートさえ売り上げ減少から今や撤退、閉店を余儀なくされてしまった。路地裏から聞こえた子供たちの遊び声はいつしか消え、野良犬や野良猫の姿も見えなくなった。近所から漂ってきた焼き魚の匂いや味噌汁の香りも遠い昔の話。気が付くと近隣の小中学校は相次いで閉校に追い込まれ、跡地は役所の出張所となっている。ダダ広い校庭は来庁者向けの駐車場に解放されている始末だ。

 

 いまでこそ、コンビニが弁当や食材をデリバリーしてくれるようだが、近隣地区の全てを網羅している訳でもない。でもそのコンビニエンスストアでさえ、外国人を雇い入れて24時間営業をしている。はて、こんな片田舎で深夜営業する必要性が何処にあるのだろうか?誰のための、何のためのコンビニ(利便性)なのか大いに疑問が残る。

 

 地元経済や老舗をガタガタにした通販やカタログショップもネットショッピングの普及で窮地に追い込まれた。その一方で老人の独居化は一段と進み、赤ちゃんや子供の姿を見るのも稀となった。少子高齢化は加速度的に進み、高齢となった町医者も相次いで亡くなり閉院、老人は一旦病気ともなれば死を覚悟しなければならい状況がこれからも続く。

 

 国内産業、経済活動はもとより介護、福祉や建設、医療現場でも人で不足が相次いでいる。右肩上がりの高度経済成長時には「産めよ、殖やせよ」で回転が効いたが、今や低成長期、次々と成長期にあった枠組みが崩れていく。そして、とうとうわが国日本も移民を受け入れざるを得なくなった。公表されているだけで128万人もの外国人がわが国にいて毎年1万人近い外国人が行方不明や失踪している現実がある。当然、この先、わが国の治安は悪化し健康保険制度や年金制度などの制度も「成りすまし」や「偽造証」で税金が本来の目的とは違うところで使われ、社会保障制度の崩壊も近い。もはや、もうメイドインジャパンなど、胸を張れる時代が来ることもない。

 

(今日のおまけ)
 Gメン、フーさん(ちゃん)、ハンメ、フルル、徳さん、ハーさん(ちゃん)、モジュモジュ、タケちゃん、マルフル、先生、あなた、お父さん、オヤジ、ジジにジージ。これらは産まれてこの方、当方につけられたあだ名や呼び名。どれもこれも想い出のある愛称だが、いまや「患者さん」と呼ばれるのが一番馴染む。