Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

親切は泥棒の始まり

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    これは東日本大震災の時にもあったことだが、火事や災害にまみれて泥棒や窃盗が増えてくる。打ち上げられた金庫の扉はバールのようなものでこじ開けられ、タンスの中の宝石箱や通帳、キャッシュカードもほとんどが盗み出される。

 

 福島原発事故の立ち入り禁止区域内も酷い状態で、コンビニのレジや銀行のATMも荒らされ、金品や換金できそうなものはすべて持ち出されてしまう。一般家庭はもとより倉庫、工場、学校、病院など至るところで窃盗犯罪が起きた。

 

 今回の真備町もいち早くこうした輩に狙われた。対策に困るのは全国から集まるボランテイアにこうした人間が紛れているから防ぎようがない。ボランテイアです「何かお手伝いすることはございませんか」と声を掛けて家人からの返事がなければ、ここからが本当のお仕事。水害で流されたと思った金品の中には瓦礫やゴミの山から札束が見つかることもあるし、復旧現場で通帳が見つかることもある。

 

 福島の楢葉や富岡でも、立ち入り禁止区域が一旦、闇夜にでもなると、あちらこちらで懐中電灯灯りがチラリ、チラリと光る。まるで蛍が遊舞しているかのように見えるが、窃盗犯は夜陰に紛れてやりたい放題し放題。そりゃ、捕まえる警察官もいないのだから無法地帯にもなるわな・・。

 

 こいつらにはいつか天誅が下ればと思うのだが、日本人ばかりと思いきや、大陸や半島からの集団賊も多いという。こうした連中、日本人は小金持ちだということや災害情報を良く知っていて、入国場所も違えば出国場所も変えくる。彼らの仕事は災害が過ぎてボランテイアが集まる頃が稼ぎ時と心得ている。手口も素早く、現地に長逗留をしない。今回被害に遭われたみなさん、親切そうな顔をして近寄ってくる人は頭から信じないように・・・。

 

(今日のおまけ)

 国土交通省の所管は、道路、港湾に河川だ。この河川が縦割り行政の象徴的存在。一級河川のその殆どは国の管理だが、一旦、支流にもなると各都道府県の管理。河川の上流のダムや山林は国有が多く国が管理。でも砂防ダム都道府県が所轄するケースが多い。

 

 ダムの放流、山崩れ、洪水に堤防の決壊これらが複合的にやって来たら「避難してください」といくら声を掛けられても逃げ場はない。家屋が流される映像や土砂に埋まった家々をみていると、自然の怒りに触れた時、人は為す術を持たないことを痛感した。  

 

   東日本大震災津波に流された家を見ながら家の再建を諦めた家族が、今回の豪雨に見舞われた岡山県真備町に移り住んできた。だが、ここに住んで安心と思いきや、その家族は新築したばかりの家が洪水で流されていくのを見て、再び声を失った。

高校野球に思いを寄せて

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   博多に家族ぐるみで転勤している我が家の長男は無類な高校野球ファン。何がそんなに魅力的かとの問いに「そこには青春があり、感動的なドラマがある」という。彼がそんなに熱くなったのは独身時代に静岡に転勤してからのことだ。静岡は浜松商業や静商が指定座席だが、常葉大菊川あたりが台頭してきてから妙に熱が入るようになり、夜中までTVダイジェストに魅入っていたことを思い出す。

 

 彼の祖父(当方の父)もそんなところがあって、年末年始の山梨日川高校や韮崎高校のラクビー、サッカーの全国大会にまで応援バスにのって出かけていた。公立高校の野球部が凋落していく中で、私立高校の活躍が著しい。多聞に漏れず、山梨も甲府商業や甲府工業に代わって山梨学院大付属高校が今年も甲子園の切符を手にした。

 

 山梨学院に限らず、野球もサッカーも駅伝も私立高校は、準レギュラーや二線級の選手を全国から集めてくる。こうした選手の方が主戦級よりハングリーで、伸びシロが大きいからだ。でもその分、当方(出身校は2回甲子園に出場)のような公立高校擁護派としては、あまり面白くはない。

 

 どこの地方大会を観ていてみても公立対私立高校の戦いには、自然と公立高校を応援してしまう。今年は例年にない酷暑だ。炎天下のグラウンドやマウンドの表面は60℃近い気温になっている筈だ。全国のあちらこちらで、熱中症で亡くなる方が多い中、球児の健康面を心配する声はあまり聞かれない。

 

   旭日旗に似た朝日新聞の社旗が甲子園でたなびくなか、そこには戦前、戦中の教育観念が底辺にあるようにも思える。丸刈り頭推奨にハイタッチ禁止など、未だ制約の多い高校野球。選手、応援、観衆それに高野連と時代とともに変わるべき、変わっていくべきであろう。

 

  そんななか三重県代表に県立白山高校が甲子園代表に選ばれた。そして都立小山台高校が常連の帝京高校を破り69年ぶりの決勝戦へ駒を進めた。 白山高校は10年前、部員はたったの5名。選手もユニフォームさえ着るのが恥ずかしかったという。そんな山中の小さな高校の野球部が初出場ながら甲子園出場権を手にしたのだ。

 

   時代の変遷とともに変わるべきものがあるとノタマワっておきながら、こんなドラマに胸を厚くするのは、いい加減だとお叱りを受けるかもしれない。当方、高野連に続く勝手連。あとから何とでもいえる。

 

(今日のおまけ)

 山梨学院大学短期大学部付属幼稚園。ことあろう甲州屋徳兵衛、この幼稚園の卒園者。今から60年以上も前のこと、山梨県下では初めてロングノーズのスクールバスが走った時代。

 

 そのバスに揺られながら毎日、酒折の幼稚園まで通った。

 学長は「ヒゲの平山」ならぬ古屋一族の総統「古屋真一学長」。入園式と卒園式に怖い顔をした学長の姿はいまでもハッキリ憶えている。

執行命令

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  こうなってくると、途端に死刑反対派の声が急に大きくなる。だれも関係ない人がいわれもない理由から命を奪われる。動機は身勝手であって、殺害方法やその残虐性を見れば死刑判決の確定によって死刑執行は当然のことだ。

 

 光市の母子殺人事件で一旦は無期懲役刑判決を受けた少年の差し戻し判決で死刑が確定。その後、再審請求が出されているなか、奥さんとお子さんを一度に亡くしたご主人の気持ちはいかばかりか・・・。

 

 もし、こうした人の家族や身内が、ある日突然命を奪われても、その人たちは「死刑反対」が叫べるだろうか?死の代償は死を以ってしか償えないのである。むしろ事件から20年もの間、その原因やそこに至ったプロセスは一向に明らかにされなかった。ある死刑囚は口を噤み、ある死刑囚は精神に異常を来した。

 

 上川法相は、史上まれに見る極悪執行人のように言われているが、彼女が執行命令書にサインをしなければ、秋口の内閣改造で法相となった新大臣までもが執行の判断に揺れる。いってみれば上川法相は自分の命さえ狙われかねない中で、一気にオウム事件にケリをつけたともいえる。

 

   8月になれば、原爆投下の日や終戦記念日を迎え、来年には天皇陛下が退位する。そうした中での執行。決して早すぎたとは思わない。

 

    現在、死刑判決を受けた死刑囚の数は111名。うち92名が再審請求中。新天皇が即位すると当然「恩赦」も「特赦」も考慮されるだろう。そうなると死刑囚の減刑も考えられるだろう、収監されているその間、国費で彼らの刑務所生活は保障される。

 

(今日のおまけ)

 この手の話は、警察、公安や司直が絡む話なので、とかく世間はこうした話を避けたがる。時として、こうした話題を採りあげたことで、自分の周辺に良からぬことが起きやしないかと怯えているのだ。訳もない不安や恐怖が「ヒタヒタ」と押し寄せてくることに、なるべく関わらぬよう、また、その原因も作らぬようにしている。

 

 余計な場所では、年甲斐もなく元気ハツラツによく意見をするようだが、国家、思想、信条、宗教、治安、部落、在日のカテゴリーに話が及んでくると、いきなりトーンダウンする。

 

 だったら、何も言わず最初から寡黙を貫いておいたほうが身のためだ・・・!。

スマホ中毒

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   コンビニのイートインコーナー、盛んに横でいい年をした男性がLINEの返信を待っている。それも食事中である。こんな時でさえスマホを手から離すことが出来ない。

 返信が来ないと不機嫌そうな顔になり、返信がくると間髪を入れずに打ち返す。こうなるとこれは一種の病気で、スマホというアイテムに人間様が振り回されてしまっている。

 

 「みて、みて、私を見て」「どう、どう!私ってどうよ?」に近い精神疾患と見てもよかろう。こういう人種は基本的に孤独に耐えきれない。周囲が気にしてくれなくなると死んでしまうような焦燥感の持ち主だ。食事より周囲の目が気にかかり、自分の気持ちより相手の気持ちの方が気にかかる。

 

  こなると、プラスもマイナスも異常に増幅され、SNSで「いいね」ボタンが押されないと一日中、気持ちが滅入ってしまうこともあるらしい。ネットの中は、所詮、仮面舞踏会みたいなようなものであり、真剣に向き合うほどのものではないと思っておいたほうがいい。

 

  だが、具合の悪いことにネット社会に埋没している人間はそのことすら理解できていない。

 

    ネットは見ているだけのものでネットに過度な希望や期待を持つべきではない。車窓の景色が流れていくようなものなのだ。ネット上でつながっているお相手は「友達」でもなければ、「応援団」でもない。「メンバー登録」さえすれば、互いに距離感がぐっと縮まったかに誤解してしまうのが、ネット社会の怖さでもある。

 

   電車の中でも、食事中でも、会話中でも、入浴中でもスマホが離せない人間が増殖している、そうした人間はいつの間にか、スマホに魂を盗まれてしまっているのかもしれない。

 

    はて、当方はと気づいてみると、依然としてiモードのガラ携を使用している。すでにiモード機種は生産、販売を中止。代替品が手に入らなくなるといよいよ当方もスマホ族の仲間入りとなる。

 

(今日のおまけ)

    先ごろ発表された研究結果で、スマホの使用を一時的に止められた若者たちが薬物依存のような離脱症状を起こし、知的作業にも支障が出たとの発表があった。それにスマホの使用中には心拍数の増加や血圧の上昇といった生理的な変化が見られたほか、スマホが手元にないと喪失感を強く感じるとの研究報告もある。

 

    深刻なのはこれに伴って、若者の間に近年、うつ病が増加し自殺者数も増えていることだ。とくにこの傾向は10代の女性に顕著に表れているそうだ。ソーシャルメディアの開発担当者が述懐するに「SNSは、気持ちを高めてくれるものだと考えているところに問題がある。

 

  だが、実際には私たちを嫌な気持ちにさせる。そのために私たちは、SNSが精神衛生に悪影響を及ぼし得るものであると知りつつも、中毒症状のように繰り返し、繰り返しソーシャルメディアを使ってしまう」「ここまで来るとこれはもう麻薬や薬物中毒と同じだ」と。

差別と偏見

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   松本清張原作「砂の器」こりゃあ~泣けましたぜ!何人もの彼女とご一緒に映画鑑賞したが、中には涙をぐっと堪える彼女もいれば、隣の席で大泣きされて困ったことも思い出す。 

 

  この映画1974年の作品。時代背景は、戦前・戦中・戦後に設定されていて、ハンセン氏病=ライ病をテーマにした一大悲劇だ。この映画には、すさまじい差別と偏見が描かれている。それは、現代のエイズなどを遥かに上回る。当時はこのライ病は、親戚はおろか末代まで祟ると怖れられていた。そして、伝染の虞もあってみな離島やへき地に隔離された事実もある。

 

    不幸にもこの病気にかかったら、仕事を失うばかりか社会から抹殺される運命が待ち受ける。結婚は勿論破談、家族や親戚縁者の様々な行く末には、地獄の世界があった。だからこそ、ライ病患者は、人知れず故郷を去り、誰とも別れをせぬ儘に人知れず亡くなるしかなかった。

 

    この映画のあらすじはこうだ。ある日、蒲田の操車場で1人の老人(緒方拳)の死体が発見される。その老人は元駐在所勤務の巡査で、生前は大変人望があった人物。若い頃から非常に面倒見が良く、地域の人から尊敬を集めていた御仁。その人が老いて定年後、地方の田舎から初めて伊勢参りの旅に出る。息子や家族から暖かく送り出されての人生で初めての自分へのご褒美のような幸せな旅になるはずだった。

 

    それがなぜ、喧噪に満ちた東京で殺されたのか?そこから所轄の刑事たちの執念の捜査を描いた(キャスト:丹波哲郎森田健作)ストーリー。その結果、殺された元巡査が操車場付近の喫茶店で、何者かと話していたことが分かる。捜査を進めるうちに、容疑者として浮かび上がる新進気鋭の音楽家「和賀英良」(キャスト:先ごろ亡くなった加藤剛)。

 

     和賀は今売り出し中の才能ある音楽家。有力代議士の娘との婚約も決まっていて、まさに我が世の春を謳歌している青年。しかし、和賀には秘められた過去があって、その秘密を知っていたが故に元巡査は和賀に殺される。その秘密が、和賀の父親がかつて「ライ病」患者であったことが判る。こんなシナリオから映画は劇的なクライマックスを迎える。

 

(今日のおまけ)

 旧優生保護法に基づき、知的障害者らが不妊手術を強制されていた問題が、にわかに社会問題化している。障害者をだますように手術を受けさせていた実態が明らかになり、各都道府県に対する情報公開請求が相次いでいる。  

 

     こうした動きは長野県でも同じで、先ごろ県が資料を開示した。1952年(昭和27年)度の旧飯山保健所の「事業概況書」によると、管内で不妊手術を受けた3人のうち強制の1人に対し、役場職員や民生委員が「根気よくなだめ、すかし、あらゆる手をつくし、最後、映画見物に連れていくという甘言でやっと目的を達した」と記されてある。

 

   残り2人は任意で手術を受けた兄と妹で、妹は未成年だった。妹が自ら手術を申し込んだことに触れ、概況書は「人も恐ろしがる手術を受ける気になったその殊勝の心がけに対してただただ感謝のほかない」と記されている。

 

   県の本庁から旧松本保健所に助言したとみられる別の文書では、性的暴行の予防を理由とした手術申請書について、過去に同様の理由が審査会で認められなかったことを受け、「本人保護のため必要」と書き直すよう促されたとある。