昨日26日(水)は、現役時代、部長で上司(後に常務取締役・南安曇郡堀金村三田出身)だった方のお立ち日。当時は厳しい指導で有名だった。今でも思い出すが稟議書を持って行っては黙って突き返させられ、時には稟議書を目の前で放り投げられたこともあった。
修正箇所、書き直し理由は一切喋らず、ただ黙っているだけ。トップの挨拶文を送稿した時も「思想、ポリシーや信念がない」と叩き返された。辛い苦しい時のことや憎んで怨んだひとほど思い出深く印象に残る。
当然、残業は毎日のことで夕食などを摂ったことは一度もなく、毎日、帰社できるのは終電ギリギリ。でも、その上司は年末に一度だけ部員全員をカラオケや飲食に誘ってくれた。
そして帰り道には八重洲界隈では有名な洋菓子店で必ず手土産を自費で買って全員に持たせてくれた。今思えば、彼が出来たせめてもの日頃からの感謝の意の表現か、罪滅ぼしだったのに違いない。
退職後、ひょんなことで、あんなに憎んでいた上司と山登りを何回かお付き合いして頂いた。尾瀬・燧ケ岳・至仏山、日光白根山・男体山、北ア常念岳や各地の温泉などにもご一緒させて貰い愉しい日々を過ごさせていただいた。
その彼が十数年前、発見前のPSA値は悠に30を超えるような前立腺がんを患い、2年余りの闘病生活で70歳までの3年を手前に亡くなられた。亡くなる前の自宅療養中に親しき知人と何度か呑み会を催しご自宅にも訪れた。
奥方さまを含め4人でお寿司をつまみながら昔話に華を咲かせた。モルヒネを貼付しながらの談笑だったがあの笑顔は今でも忘れない。
その葬儀の際、進行や諸準備に汗をかかせて頂いた。そして、親しき知人と一緒に弔辞も読ませて頂いた。納骨後には荒天の中知り合いと伴に墓参りにも赴いた。今では当時の役員の殆どは鬼籍に入っている。
今となっては、懐かしくも淋しい思い出ばかりだ。登山が出来た頃のスナップ写真を観ながら帰らぬ昔を恋しく思っている。振り返ってはいけないと思う時ほど心が弱っている。 合掌