Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

挙句はR.D.BにB.Cかよ!

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   チェーン店が軒並み壊滅状態だ。田舎の方には判らないかもしれないが、サンドイッチチェーン「サブウェイ」の運営会社が倒産し、「バーガーキング」の大量閉店も明らかになった。今や多くのチェーン店の存続危機、受難の時代となった。

 

    当然そうなりゃ、「ミスド」、「マック」や「モスバ」も苦境に陥るのは目に見えている。経営路線の失敗か、販売戦略の見誤りかは分からないが、こうしたファスト・フード店の客離れはかなり深刻だ。つまり長引く不況にこうした面から見ても消費が落ち込んでいるのがよく分かる。

 

    喰ってりゃぁいいの!と一度倒産した「吉野家」をはじめ、「松屋」、「すきや」や「デニーズ」にも同じことが云える。こうなってくると客の争奪戦は熾烈で過当競争は一段と厳しくなる。青目や金髪にコンプレックスを感じ、「USA!」、「宇佐貴雄!」や「憂さ原氏!」を模倣したアメリカンタイプのショップも、もはや日本では通用しなくなった。

 

   さらに、同じことがコンビニにもいえる。すでに飽和状態にあるコンビニも内装や立地を変えただけでは、大幅な売り上げ増加も期待できない。つまり、どこもかしこも、やっても、やらなくても地獄の日々を迎えているのだ。

 

 加えて、「和民」に代表される居酒屋チェーン店も厳しい。今や酒飲みの文化は衰退し、繁華街の居酒屋で大騒ぎする恒例の「呑み講」はすでに潰えたのだ。それが証に、街中で徒党を組んで闊歩するサラリーマンやOLの姿は、最近、殆ど見かけなくなった。

    これらの業界は、絶滅危惧種「レッド・データ・ブック(R.D.B.)」に指定され「ブラック企業(B.C.)だ!」と、揶揄する声も聞こえてくる。じわり、じわりと進む仕入食品価格や人件費の高騰、アマゾンや楽天などのネットショッピングの拡大により、わざわざ手間暇をかけて、飯(メシ)や買い物に行く必要も無くなったのだ。

 

    隣家のYさんも、Iさんも、荷物の持ち帰りが大変な飲料水でさえ、毎度、毎度宅配便に頼っている。このままでは、「日本の食文化の維持」などと気取ったことなどとは言えまい。間もなく、一億総引きこもりの時代がやってくる。

 

    本日採り上げた飲食産業の市場規模もそうだが、社会の高齢化などに伴い消費活動は確実に右肩下がりの状態だ。役所だから、公共機関だから、金融機関だから、老舗、馴染みだからといって気楽に稼げる組織も、店も、企業も、会社も、いまは日本中を探しても何処にも見当たらない。

自業自得に自暴自棄

 

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 その昔、犬HKで「青年の主張」なる番組があったような記憶がある。社青同あがりの今を時めく「池上彰」キャスターのような連中が青臭いことを言っていた。でも、今日、ここでは、その向こうを張って「老人の主張:自暴自棄と自業自得は紙一重」とでもイキマスか?

 

 調子がいい時や上げ潮ムードになっている時ほど、警戒、用心した方がいい。案の定、リバウンドが来た。かなりキツイ、リバウンドだ。このリバウンドと云う言葉。治療・投薬をやめた後に、治療前よりもかえって症状が重くなることを指す。若しくはダイエットを中断したために、一度減った体重がまたダイエット前以上に増加してしまうことをいう。

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 まあ、一種の反跳現象。いつも平気で簡単に与えられ続けた日常的な刺激が中断された際、突然その刺激とは真逆の反応が現れるのだ。特に薬物依存や薬物中毒の禁断によってその症状は激しく表れる。

 

 我が方も、最近の「過ぎたおちょんこ状態」に「お灸」をいただき、天誅が下ったようだ。まあ、昨日のセデーション併用によるブジー(食道拡張手術)は、術前後からキツカッタ。まず、麻酔の針が静脈に2、3度と入らず、やっと研修医がやってきて穿った。治療を終えても気分は戻らず、病院を出たのは、日も暮れた午後7時過ぎ。

 

 まあ、治療だからと思い、家路を急いだが,帰りの電車では異常に気分が悪く、見かねた隣席の女性が席を譲ってくような状態での「おそ松クン」。「人生五分五分」というのが当方の持論で、若い時に苦労すれば、やがて年を取ったときにその御恩に報われると信じて止まない。だから、今でもそうだが、多少の苦労は厭わない。

 

 でも、限りある運勢、ちょっとのことで、少ない運気を使い果たしてしまえば、残りの余生はご難続きとなる。いつも世話になる髪結いの亭主が言っていた「徳さん!人生、人生、五分五分なんて甘いよ!五分に持っていければ御の字だ。ほとんどの人間は生涯、割を喰っているからね!」、その言葉に妙に納得した当方。「キモに銘じます」と改心スマスた!

 

 それにしても、当方の早朝散歩の帰りの午前6時前の駅の改札口から女性を待って手を握り合ってどこそこかに行く、それも駅から随分遠い場所に向かうのだ。不思議な70歳前後の初老紳士と50歳代の中年女性は、一体あれは何ん何だ!「老々介護か?」人生五分、五分とはいえ、どうもそのショットをみて妙な想像をする当方の方が、分が悪いようだ!

 

 自宅に戻って呆然としながら、久しぶりに田舎にでも帰って、じっさん、ばっさんの墓参りでもしながら運気を取り戻そうと思った次第。あ~!今日は想像以上に具合ワリィ~!!体調最悪!自業自得も自暴自棄になりそうだ。

「千寿会」

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    ここもニッポンかよ?通学、通勤しか列車や電車を使わない人からみれば、平日の昼下がりなど、車内は目を覆いたくなるような人種ばかりだ。「栴檀は双葉より芳し!」と、病弱で体臭がキツイわが徳兵衛。まあ、平日の電車のなかの乗客を見てご覧下さいませ。そりゃ、変わった人種の坩堝だすヨ。

 

 出張、仕事、移動や予備校や学校通学ならともかく、昼過ぎとなると怪しげな動物が出没する。香水のきつい匂いに、首から足までの入れ墨(タトウー)に、パンを頬張る50歳過ぎのホステス風の女性。常識もなければ、えケチっとも、マナーも、お品もない。

 

 手荷物を放り出し、傍若無人に足を投げ出すフーテン風のクソ野郎!昼下がりの電車内の乗客は、おかしな奴等ばかりだ。ためしに、それを実況で見聞したいのなら有給休暇でもとって、一度、平日の車内を覗いてみたらいい。

 

 朝、通勤や通学に向かい、夕方には退勤や終業により、一杯やって帰宅するのが普通の会社員や学生ら。それが日中ともなると、これが同じ列車なのかと様変わりの様相なのだ。通院や急な用事ならともかく、一見して、昼下がりの乗客は「カワリモノ」が多いとわかる。

 

 かくのごとく平日の日中は「カワリモノ!」、「外人」、「酒飲み」、「変態!」や「奇態モノ」があまりに多すぎる。もしかして深夜の列車内より日中の方がリスクは高いかもしれない。こんな列車で子供や孫を通学させようとする親や爺さん婆さんの気持ちを考えると「ゾッとする!」 

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 なんで、今日こんなお話をしたかというと、同じガン患者仲間で、毎月定期的に平日の昼下がり「千寿会」なる慰安会が催され、電車や列車を乗り継いで出かけるからだ。乳がんに、子宮がん、それに膀胱がんに食道がん・・らの「がん患者メンバー」らが愚痴を溢しあいながら一献に興じるのだ。

 

    今日も、したたかに「がん、がん・・!」と呑んだが、どうにも、こうにも往来電車内の乗客が「気に喰わねぇっ!」、だったら「まとに仕事でもしたら!!」とは、女房のご託宣。「もう、仕事は結構だ!まだこの俺に働けというのか!」とは当方の弁。

 

 とは言え、毎月、遠路「千寿会」に出向くのが、残り少ないわが世の愉しみ。いちいち乗客に腹を立てていては「旨い酒もまずくなる!か・・?」

ダメだ、コリア!

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  「今日もまた病院かよ!」  「ああ、めんどうくせーなほんとに!」と、今日もあけすけな本音を綴る「玉の裏筋太郎」こと甲州屋徳兵衛。「セラー服と、一晩中」と行きたいところなのだが、そんな元気は今更ない。

 

   さて、今日の話は飛びに飛びまくる。朝ドラ「なつぞら」の「河村屋」は新宿の「高野フルーツパーラー」の設定とみた。三浦雄一郎加山雄三とご一緒にサントリーセサミン」のお抱えタレントに成り下がり、グレトラの田中陽希は「ノースフェイス」の広告塔。

 

    今やドラマも、ドキュメントもニュースも含め、番組はスポンサー意向でどうにでも製作され、事実が歪曲されたり誇張されたりする。バカな素人はそれを見て、ただ、ただ「なるほどね!」とウナヅクだけだ。

 

     最近、悪夢のような悲惨な事件や事故が相次ぐ。「千葉小4女児虐待死事件」、「池袋自動車暴走死亡事故」、「大津自動車死亡事故」や「川崎殺傷事件」などなど。その一方で安倍ちゃんも、「悪夢のような民主党政権」という言い方をした。その後に、おバカな萩生田が「あれは悪夢のようなではなく、悪夢です。」と言いきってしまった。が、ここが大間違い。

 

    言葉の使い方としては安倍ちゃんの方が正しい。「悪い夢の中だけで起こるような中で、考えられないような悪いことが起きた時」に、「悪夢のような」という表現をする。だから、弁解、謝罪会見であっても「隠蔽と云われれば、隠蔽だった!」などという言い訳も通るのだ。つまり当事者は事件や事故は現実を認めつつ、できることなら「悪夢」であってほしいと願う切実な姿勢が浮かび上がるのだ。

 

 でも、これらの事件や事故に関し、報道などでその後繰り返して議論されるのが、被害者側の感情だ。その一方で被害者を加害者にするような「被害者に、何か落ち度はなかったのか」という報道もある。やり方によっては「落ち度もないのに、被害者にあたかも過失があって、加害者側に手の打ちようもなかった」といったニュアンスの報道もいくつか見受けられる。

 

    こうしたことを段々重ねていくと、「千葉小4女児虐待死事件」の事件も、女児が必死に訴えているのに、教育委員会も児相も全く機能していないことに、本来、擁護されるべき被害者が、加害者の過失が原因のように見えてしまう。

 

     つまり、いつの間にか加害者にも止む得ない事情があって、事件を起こしながらも「見て見ぬふり」が容認されてしまうことになる。こうしたことは、「イジメ・虐待問題」に限らず、今や教育現場、組織や国家にも簡単に通用してしまうのが現実だ。

 

     最近問題の年金制度にしても、とうに制度破綻していると分かっていても、政府や担当大臣は強硬にそれを否定する。もともとお国が公式に金融審議会に諮問しておきながら、ひとたび「年金貰っても2千万円なければ喰っていけない!」との、選挙に影響するような答申がだされると、答申書の受取さえも拒絶する前代未聞のお粗末がまかり通ってしまう。

 

 「池袋自動車暴走死亡事故」では、加害者は足の状態が悪いので、医者から運転をしないように言われていた確信犯的な犯罪。でも、勲章や上級キャリアだから未だに逮捕もされない。その一方で「川崎殺傷事件」では、引きこもりの加害者の親族が、市役所に何回も相談に行っていたが、役所としては有効な処置はとらないまま「事なかれ主義」が優先された。その結果、いつの間にか、被害者が非難され、加害者が擁護されるような事態に陥る。

 

 こうした、事件や事故を起こす前に、加害者となりそうな人に対して手を打つことはできないのだろうか?天皇陛下に対し国賊、逆賊、戦争犯罪者呼ばわりをし、謝罪を求めることが、あたかも、国是として正当化され被害者ヅラをしながら、加害行為を繰り返す隣国こそ、その象徴かもしれない?

米にひと騒動

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 新聞のトップ見出しにこう書かれれば、素直に「米国(穀)でクーデター、当局が鎮圧か!」とも読めてしまう。こうしたトリックや誤解はどこにでも起こりうる。第一次世界大戦直後のこと。戦争による物資不足のため、周りの物価が徐々に上昇しいく中で、「米価」は1918年、急激な上昇をしはじめた。

 

    これが、富山の魚津で起きた「米騒動」の要因だ。その背景には、社会共産主義から資本主義への転換が背景にあると指摘されている。大戦が終わって戦争景気が残っている中、都市部では人口が増加し、農業を辞め、工業労働者が増えた。それまで養蚕に収入を頼っていた農家が、稗や麦を食べる生活から、米を食べるようになって一気に資本主義が台頭したのだ。

 

    つまり、昔ながらの農業人口の減少、米の消費量の増大や米穀の輸入量が減ったことによって国内は騒乱状態になった。で、魚津の旧十二銀行の倉庫にあったコメが(主)婦女子によって襲われた。なぜ、魚津で起きたかは分からないが、北海道へ北前船が出航していたので、内地と外地の差別戦争の象徴だったのかもしれない。

 

    その後、この運動は全国各地に飛び火した。そのきっかけを作ったのが魚津市の主婦らだ。これによって各地の米問屋や資産家は窮地に追い込まれた。これが形ばかりの第二次世界大戦後の財閥解体の始まりであったのかもしれない。

 

    本日は何を申し上げたいかと云うと、歴史や過去を振り返るまでもなく世が大きく動くとき、組織が変革するときには、篤姫北条政子ジャンヌ・ダルクを持ち出すまでもなく歴史の裏で、女性が世界や社会を大きく動かしていることが分かる。

 

    男は格好も喋りも偉そうだが、実は、ひ弱で、従順で、わがままで、そのうえ身勝手だ。家庭でもそうだが、組織や国のトップに立つと自分が世界で一番と錯覚する。「あなた、アナタ!」、「先生!センセイ!」や「社長、代表」と呼ばれることだけで気をよくして簡単に舞い上がる。それほど「オス」と云う動物は生殖行為と名誉と虚勢を張るだけの阿保で間抜けな存在なのだ。

 

     その点「メス」は種を保存するために、いかなる苦難も困難も厭わず、子や孫を守り抜こうとする。これこそ母性であり種の起源かもしれない。この時期、株主総会、役員改選期や人事異動(ひと騒動)の時期を迎える組織も企業も多いことだろう。人事には正義や正解がないが故、その不条理な犠牲の目に会うのは、いつの世も「弱体化したメス」と「雌化したオス」たちだけだ!

 

  「立てっ!」とは言えど、「立たないメスとオスが余りに多すぎる!!」。オラも立たないが・・・!