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koushuyaの徒然日記

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

耳障り

想い出

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    旧聞に属するが、あんな立派な元知事が、職業は「小説家」だといい放ち。いまは脳梗塞を患って、漢字も書けないしひらがなも読めないと、記憶のあいまいさを強調していた。饒舌で弁舌爽かだっだ氏がそれほどまでに守りたいものは何か。肝心な箇所にかかると「記憶にないものはないと」言い放つ。あのシーンをみて、むなしくも老いの最後をみた気がした。

 

 うるさいと言えば、山登りで小屋泊りを経験した方々にはわかるだろうが、深夜1時ごろから起床し、レジ袋をガサガサする登山者がいる。みな就寝中で静かにしているものだから余計に耳障りだ。計測すると80デジベルもあるという。国道沿いの民家で聞く車の騒音に近い。

 

 さらに、登山中に麓から山頂までしゃべり続けるオバさまたち。どうしてそんなに元気なのか耳を疑ってしまう。こちらは、あごが上がってるというのに、さすがに母は強いのか?

 

 そんなおしゃべりおばさん連に限って隊列が長く、「お花摘み」(用足し)の時間も長い。クマに遭遇する以上に、小鳥のさえずりや風音を消してしまうこの隊列に合わぬようコースや出発時間をづらして登ることにしている。その山も今は遠い。

 

(今日のおまけ)

    今日、駅の構内で不思議なことに出くわした。この世には瓜二つの人間が三人いるという。そんなことがあるのかと目を疑った。親父に会ったのだ。背丈、しぐさ、顔つき、歩き方といい。生前の親父にそっくりだった、あった瞬間、「おやじ!!ここで何してる?」と見知らぬその人に声を掛けてしまった。そのひとは怪訝な顔一つせず「何か、御用で?」。瞬間、徳兵衛,我に返った。

 過去と現実が混在した短い時間だったが、懐かしいオヤジに久しぶりに会えた。

 

 ブログ発信用のタブレット端末の作動が怪しくなってきた。容量やメモリが少ないだけに女性と同じに繊細に扱わないとすぐにダメになってしまう。メーカーに問い合わせて処、初期化かリフレッシュしないと復元しないという。さて困った。追加アプリのIDとパスが判らない。さてどうする?その前に自分がリフレッシュしないとこのままでは再起は困難かもしれない。

ダブルブッキング

かわら版

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 予定が重なること、予定や約束があるのに、うっかりそれを忘れてしまいスケジュールや面会が重なってしまうこと。典型的なのは、本日のWBCの決勝と籠池当人の証人喚問だ。

 

 当初、WBC決勝戦侍ジャパンが進むことをよていしていたが、見事にそれを裏切り、アメリカに準決勝で1-2で惜敗した。この点差なら投手の責任とはいえない。逆に米国は、一回目からこの興行、優勝できるものとタカを括っていたら二回連続でジャパンに優勝をさらわれた。したがって、今回はメジャー一線級を投入。本気モードの戦いだった。もし、今回米国がマケでもしたら、WBCは今後二度と開かれないだろう。そういう意味では米国の優勝を祈りたい。

 

 その一方の参考人招致が証人喚問となった森友問題。一挙に政局となった。都の百条委員会のような甘い追及だったら、野党の面目も丸つぶれだ。今回だけは共産党に期待したい。何せ自民党の一部から裏情報が洩れてるようにも見えるからだ。

 

 つまらぬことを言うようだが、スキャンダルやマスコミネタなどに「イケメン」が多いのはなぜだろうと最近思った。籠池氏をはじめ、鴻池、拉致問題の蓮池等々と、「池」がやたらとつく。とにかく、籠池氏の証人喚問を本日のWBCの決勝にぶつけたのは、自民党守旧派国対委員の知略かもしれない。

 

 それをおかしいと思ったこの徳兵衛、まだ頭は冴えているようにも見えるが、時折、W・B(ブッキング)も多い。思惟「C」が足りないだけにWBCには今一歩。はやく忘れないうちに身辺整理をしていた方がよさそうだ。

 

(今日のおまけ)

 紙幅が余ったので、本日は二題。遺族年金受給を巡って最高裁が夫婦間の男女間を公に認めた。画期的なのか古流なのかはさておき、日本国の司法が「男は外で仕事を、女は子育てと家庭を!」と男女間格差を容認した判決だ。これを妥当と思うかはあなたが生きてきた過程(家庭)次第。

 

 駅名案内でハングルと中国語表記が多くなった。ニュータウンは野球プレイヤーの「新庄」ではなく「新城」と表記する。また中国では安全保障上の問題に端を発し韓国企業の「ロッテ」を排斥する動きが強まっている。そのロッテは中国では「楽天」と表記する。

 日本野球のパリーグにも「ロッテ」と「楽天」というチームがある。これこそダブルブッキング。野球ネタで本日は〆させていただきました。お粗末!!

軽重開閉

事件 老い

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 徳兵衛独自の造語である。千葉の三越が33年の歴史に幕を閉じた。一時は550億円もの売り上げを記録した名店の重鎮の老舗である。こんなにネット通販が跋扈しては、人件費や所場代がかかる店はやって行けまい。こんなところが日本中あちらこちらに散見される。そごうもあらゆるところで閉店し、多聞にもれず前橋駅前の当時東関東一の売り場面積を誇ったイトーヨーカ堂然りである。コストがかからず足回りがよく、軽快で販売効率のいいネット販売はこれからも雨後の竹の子のように店を開き成長を続けるだろう。もはや店を構えて行う商売はよほどのことがない限り生き抜くのは難しい。物があふれかえっている時代に消費が右肩上がりに伸びるはずもない。これが今の時代の開閉(店)の象徴でもある。

 

 その一方で軽くなった物もある。それは徳兵衛の頭の中身と懐具合、どれに言葉の重みである。最近よく耳にする「忖度」や「矜持」である。そんな軽い意味はもっていないのに軽々に使われ、もはや言葉の重さはなくなった。その一方で重くなるのは政治課題や経営問題である。湯水のごとく増える摩擦や負債。それに、病魔に何もしなくなった我が体重も増え続ける一方だ。権力者や権威者の能力が問われている。「既定路線」や「記憶にない」を連発しては、真に「鼎の軽重」が問われかねない。

 

(今日のおまけ)

   三年のの間に「ボクちゃん」1人、「オネエちゃん」3人の孫に恵まれた。さすがに4人ともなると、毎週、猫の目が変わるようにいろいろな話題や行事が飛び込んでくる。先日も孫のために某ホテルの一室を借り切って「お食い初め」をやってもらった。お頭付きの鯛に立派なお膳。きっとパパのご両親もご満悦だったであろう。自分がやってもらったことはその子やその孫にもやってあげる。それは脈々と子孫に引き継がれていく。それが次代への責任かもしれない。

 

    お食い初めには神殿や境内の石を持帰って赤ちゃんの口にあてて、しっかりとした歯が生えてきて、きちっと食事がとれることを祈願する。いまから乳歯がはえてくる孫を羨ましく思う徳兵衛。歯は抜け落ち、固いものは口にできず、おかゆや流動食に頼らざるを得ない今日この頃、悲喜こもごもの皮肉な現実だ。

○○物語

老い 宿命

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 ハカタチ、ハカアガリ、でんでら(蓮台野)、座敷ワラシ、河童淵等々の関連用語を聞けば○○に入る言葉は「愛情」や「探偵」や「源氏」でもない。正解は、「遠野」である。

 

 このうちハカタチ、ハカアガリの言葉に興味を惹かれた。山口、飯豊、東禅寺及火渡や土渕村の字土淵に、ダンノハナと云う地名があるらしい。その近傍に相対して必ずデンデラという地名が残っている。その昔は60歳を超えたる老人はすべてこのデンデラに追われ、死ぬる習わしがあった。

 

   老人はいつ死んでもおかしくないので、日中は里へ下り農作して口をつないだり、そのまま亡くなったりもする。病気になったり、口減らしのため老人はこの蓮台野に送られ、小さな小屋で集団生活をする。その為に今でも山口土淵あたりでは朝に野ら(仕事)に行くことを「ハカダチ」と云い、夕方野ら(仕事)から帰ることを「ハカアガリ」と言っている。

                                          

    死人が男性ならば、デンデラ野を夜なかに馬を引いて山歌を歌ったり、または馬の鳴輪の音をさせて通る。 女性ならば、日ごろ口荒んでいた歌を小声で吟じたり、啜り泣きをしたり、あるいは高声に話をしたりなどしてここを通り過ぎる。その歌が聞こえると、今度は何処ぞやの誰それが死んだなどと言っているうちに、間も無くその人も死ぬのだといわれる遠野の死の子守唄でもある。

                                               

    遠野伝承の「デンデラ野」には、必ずその付近に「ダンノハナ」と呼ばれる場所がある。そしてこの「ダンノハナ」こそが、墓場や火葬場がある。繰り返しになるが、遠野の「デンデラ野」。それは老いた者が村集落で暮らすことを許されなくなり追放される場所、いわば「姥捨山」のことである。かつて厳しい生活環境にあった遠野では、60歳を過ぎた者は口減らしのため「死んだもの」として扱われ、デンデラ野という「墓」に連れて行かれた。もっとも、連れて行かれた側もただいたずらに死を待つわけではない。動ける者は日中里に戻り、農作業などを手伝う報酬に僅かな食糧を得て分け合っていた。

 

   「生きながらに死んだことにされた者達の暮らす場所」「現世であり幽世である場所」として登場している。冥界と現世の境界地ともいえる。墓立ち、つまり動けず仕事に行けなくなれば、それは死を意味する。徳兵衛、遠に還暦を過ぎている。それでもまだ生きている。人生の終幕はどのように訪れるのか。怖くはないがやけに気にかかる。

 

(今日のおまけ)

  岩手の緑風荘、座敷ワラシで有名な大人気の宿泊施設で、向こう何年も予約で一杯だ。かつての取引先T社の高橋君は、何年も子宝に恵まれず、やっとの思いで奥さんと緑風荘に一晩泊まった時のこと、夜更けに夫妻が眠りに就くと、しばらくしてぬいぐるみが大きな声で鳴いたという。翌朝、自分だけが聞いたかと奥さんに尋ねると、奥さんも悲鳴のような鳴き声を聞いたという。改めて枕元を見ると、キリンのぬいぐるみが転がっており、その後、ほどなくして夫妻の間に男児が産まれた。この緑風荘、平成9年に全焼。昨年、再開したが座敷ワラシがいたとは聞こえてこない。死の向こうには生がある。という本当のお話。聞いた徳兵衛もいまだに信じられない。

裏取り

かわら版 裏話

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 捜査上の多方面からの証拠固めをいう。その一方で、新聞やテレビなどマスコミが報道するにあたって、報道内容が事実かどうかを確認したうえで一般に公開することをいう。それだけに、マスコミや一般大衆を味方につけ、自分自身は被害者でありお上や現体制の歪みを非難、批判することも簡単にできる。現実、本質や本来の姿から目をそらさせることも容易だ。

 

 新聞は記事にする前にキャップの目も入るうえ「裏取」するから、報道内容には一定の信憑性や信頼性が担保される。ただ、主語と述語だけを繋げて記事にすると目的語、その理由や背景が記載されてないだけに読者が誤解する可能性が生まれる。容易に大衆心理をコントロールできる。

 

    一方的に流される報道には要注意だ。切り出しやデフォルメによって、虚像、悪人や被害者は容易に作り上げることができる。特に生放送、生取材で突然マスコミを前に取材先が饒舌に喋りだすと、視ている側に同情や「やっぱり、そうだったんだ」と心理や心象をコントロールされてしまう。とくにスポーツ番組以外のテレビの生番組は注意してご覧になった方がいい。

 

    片方から一方的に流される証拠品、証言や会議での発言。それに惑わされる周囲が勝手に心象をつくりあげてしまう。籠池理事長が議員団を引き連れわざわざ報道陣のマイクを前に「安倍内閣総理大臣から寄付金をいただいたことを【伝達?】する。」との発言に各社が一方的に一斉報道する。それをみた視聴者は勝手に「やはり」と思ってしまう。

 

    真実は闇の中だが、トランプ米大統領の誕生の時も今回の事件もそうだが、踊らされているマスコミや議員団をみていると演出に一役かっていると思うと滑稽にも見える。森脇も豊洲もそうだが他にやることは一杯あるはずのだが?

 

(今日のおまけ)

 「記憶にない」、「記憶にございません」とか「そう思い込んでいました」、「私の勘違いでした」を枕言葉にあることないことを喋ったところで、偽証(罪)にはなりませんので念のため。ただ、追及にそうしたフレーズや釈明を多用すると、その人への自身の信頼性がタケノコの皮のように剥げていき、最後は食べるところがなくなるのでご注意いください。特にそこの「旦那さん」!そちらの「おエライさん」!