Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

錯綜

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 毎晩のように夢をみるが、懐かしい人の顔が次々と登場する夢を見ることが多い。時には白日夢のようなことさえある。でも、多いのが現役時代の仕事や思い出の夢が多い。時にはあたかも現在進行形の仮想現実のように錯覚することさえある。これってせん妄なのかもしれないが、睡眠不足というより過剰睡眠による弊害かもしいれない。

 

 時は間もなく、東日本大震災から10年目を迎える。10年経ったいま今度は疫病蔓延で人類に決定的な打開策が一向に見当たらないのが現状だ。そうした中、国会中継を観ていると空洞、空回り、質疑応答も与野党ともに原稿マル読みの出来レースに噛み合わぬ議論の連続。見れば見る程、怒りを通り越して空しさだけが込み上げてくる。

 

    こんな政治家や官僚に国家統治を委ねているのだから虚無感は一層増してくる。震災復興も、東京五輪も、コロナワクチンも上滑りの議論ばかりで実のない議論ばかりだ。「やってます、やってます」のアリバイつくりの連続だ。

 

 一方でマスゴミも専門家も自前のテリトリーのお話ばかりで、「しっかり」と「気を引き締めて」、「くらしと命を守る」などと言いつつ、対策と云えば国民の自助努力に頼るばかりだ。マスゴミも毎度のように新規感染者数の増減を報道するだけだ。ひどいことに陽性者の内、変異株の増加率についも、母数となる陽性者数もバラバラで、倍以上も違う分母に変異株陽性者数だけを分子においてその割合だけをデフォルメする。

 

    つまり、母数100に対して5人を変異株感染者数の割合を5%とする一方、対象感染者数50に対して4人の変異株感染数を8%とするトリックを多用する。変異株感染者の実数は一人減っているのに、ことさら5%→8%と割合だけを強調するものだから不安だけが独り歩きする。そのほかでも検体数の増減によって新規感染者素はいくらでも大きくとも少なくにも見せることができる。ので、それに国民が振り回される。

 

 東北大震災から10年、コロナ禍から1年。アニバーサリーではあるまいし、TV番組は記念ドキュメントやドラマをお祭りのように毎日流し続けている。10年経っても、1年経っても当時から復興も、感染対応も一向に進んでいない。これほどまでに人類、人間、国民はそれほど無力だ。

 

 自然災害、原発事故による人為災害、疫病蔓延。避難民も、家族を亡くした遺族も、入院先で、独居で死亡した感染者の親族も、災害・疫病発生時から少しも時計の針は進んでいない。時はあの時で止まっている。天はこれほどまでに我らに越えられぬ試練を与えたもうのか?茶番な政治家、シナリオなき国家戦略。対照的な現実に心は錯綜するばかりだ。