Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

老人老い易く

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    震災復興住宅での老人孤独死。ご近所から無理やり避難所へ入居し、周囲には知り合いも、隣近所には友人も親戚も誰一人といない。

 

    地縁、血縁を無理やり引きはがされ、ぽつんと淋しく非難住宅に入居し、黙ってまんじりともせずTVをじっとみつめている。話し相手もいなければ、たまに、ボランテイアや介護福祉士や職員が申し訳程度に様子を伺いに来るだけだ。そのとき2、3会話を交わすだけだ。

 

 おおよそ、老人の末路にそんな大差はない。まずは全ては要介護認定1の取得から始まる。これが結構難儀で、かかりつけ医を巻き込んでも、市町村の認定に漕ぎつけるまで大変な苦労を強いられる。

 

 その間に、ケアマネージャーや(地域)介護センターが介在するから、話は余計に厄介になる。それにデイケアを始め、通院、通所場合によっては入院もあるから、家族や周囲の負担は並外れたものだ。これは経験したことだから身をもって分かる。

 

 これに加齢が進むと本にの意思に拘らず、徘徊やお出掛けもあるので、必ずと言っていいほど目が離せない。当方の両親には安否確認と行方不明に備えてGPS付きの携帯電話(キッズ携帯)を持たせた。これが役立ったこともあって、病院に行く日に所在不明となった。

 

    GPSで探すと父親が駅前のデパートの売り場に出かけていた。事なきを得たが、かくの如くお年寄りのお世話や負担は、想像を絶する。でも、反面、ご本人は手持無沙汰なのか、昼夜を分かたず、しょっちゅう当方に電話が架かってきて閉口したことも多かった。

 

 デイサービスへの送迎や着替えの用意に食事の世話。入浴の介助に買い物。意外と負担となるのが食事だ。「魚は喰わない、肉が喰いたい」と我儘をいう。ある時まで、自炊をしながらひっそりと食事をしていた両親だったが、火の不始末もあって、ついには一食500円の弁当デリバ―リーに切り替えた。異常があれば配達員が在京の当方に連絡がくる仕組みを作った。

 

 それでも、何をしても、限度、限界はやってくる。ベッドや介護用品を揃えてもケアする人がいないとどうにも先へ進まない。要介護者一人に最低でも2~3人のスタッフが必要となる。

 

 両親の場合、結局は手にあまり、なけなしの預貯金を取り崩し、両親揃てサ高住に「入居」させた。勿論、預貯金や財産管理は肉親で面倒を看ることに・・・した。これは血を分けた親子だからといった、綺麗ごとでは済まされない。看取りの一環なのだ。

 

 ほどなくして、父は亡くなり、葬儀と一周忌を終えたあと、母も後を追うよう誰の看取りもなく夜中に吐血して独りで旅立った。年寄りは兎と同じで、独りにすると寿命を短くする。それに、それまでのご近所や暮らしの環境を一気に変えると命は短くなるのは必定。

 

    益して、息子や娘の処に世話になっても上手くいった試しはない。それほど、オトシよりは、環境変化に耐性は極めて脆弱なのだ。

 

 さて、当方、この先の環境変化についていけるのか❓行く末はどうなることやら・・・。