Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

同調圧力

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 コロナ禍や自粛生活などの「環境の変化」により、世の多くの人が将来への不安を抱え、「大きなストレス」を感じている。

 

 みんなや周囲と同じ行動を取っていると、助かるような錯覚にも陥る。学校、会社や地域もそうだが、なんとなくみんなに合せていれば、リスクを回避できると勘違いをしてしまう。

 

 必ずしも、他人や上司や教師の言うことは当てにならない。つまり、人よく他人の意見ばかりに従うと「不幸になる」のだ。ここでは敢えて夫婦生活は持ち出さないようにしている。

 

 それでも、日本人の多くは「周りの人の意見に流され」、「人に言われたことを受け流すのが難しくらしく」、「親や上司、立場の強い人に言われると反論できない」のだ。そのうえ「語気や態度の強い人の意見に押し切られる」しまうのが世の常だ。多くの人が、こうした「同調圧力」に屈してしまうのだ。

 

 日本人は自分の意見や考え、アイデンテイテイをなんとなく持ち合せているようにも見えるが、人の意見に流されずに、自分で判断、決断できるのが苦手だ。よく考えれば分かることだが、他人の意見のまま、それに従って生きることは、他人の人生を生きるということ。他人の人生を自分の人生に置き換えて生きることは、時間の無駄、人生の無駄なのだ。

 

 イザとなれば他人は何一つ「責任」を取ってくれない。周りの人は、「ああしたほうがいい」、「こうしたほうがいい」と適当なことを意見するが、その通りに実行して大失敗したとしても、一向に誰も責任はとらない。これこそ、自らの判断と責任の下に生き抜くべきなのだ。

 

 よく聴く話だが、親の言うことをすべて受け入れて生きたところで、親が亡くなった後に「親の言うとおりに生きて、こんなひどい人生になった!」と、嘆く人も多い。ただ、亡くなった親に文句を言う訳にもいかないだろう。

 

 恩師や親の指導や育て方、躾は必要だが鵜呑みにしてはいけない。級友と同じ遊び、同じ進路、主張や意見に巻き込まれてはならない。自らの頭で考え、自らの判断で行動し自らの道は自の手で切り拓く。これが肝要なのだ。

 

 わが家では、この歳になっても子供たちに「ああせい、こうせい!!」とは、殆ど口を出さなかった。これを育児放棄というのか放任主義と云うかはわからない。ただ、羊の群れから大きく遅れた子羊はオオカミの格好の餌食となるのは皮肉な現実だ。

 

 子羊がこれまでオオカミに喰われなかったのは、不幸中の幸いかもしれない。