Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

「見限る」と「見切り」の違い

 

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  限度、ガマンの限界を超えて、従っていた者が見切りをつけて離れることを「見限り」という。これは一種の謀反やクーデターと同じことだ。袂を分かつというのもそうした意味に使われる。平たく言えば、愛想も尽きて、離反することを指す。

 

    でも、もう一歩突っ込むと「背を向けるとか、背信ということ」にもなる。人心が離れて「裸の王さま」状態を、当方もこれまでに多く見た佳子。こうなると、心が離れるどころか、勝手にシンドバッドにもなりかねない。だから見限れたらもう最後の最期。復活も蘇生もない。「これっきり、もうたくさん、ウンザリ」で残るのは「憎しみと、怨念」だけだ。こうなってくると極めて危機的な状況で、いずれ暴発、暴挙、暴動や暗殺にも繋がる。

 

    ところで、「見切り」の意味はというと、若干ニュアンスが違ってくる。GOTOキャンペを例に挙げるまでなく、何の準備も制度設計もなくことを急ぐとこうなるのは自明。「旅行代金の半額を国が持つ」と聞こえはいいが、実際に始まるのは今年の9月以降から。

 

     しかも条件によっては、大手旅行会社のパックツアーでなければ列車や航空機代金等の交通費の負担はないので、実質半額とはならない。しかも旅館業者やホテルが事前登録したうえで認定を受けていなければ2万円/一人の負担もなければ、補助もな~い。完全なる「あと出しジャンケン」。「騙しのテクニック!」。「バラマキ!!」

 

    札幌ススキノの「おっパぶ」での、次々に胸を舐め舐めからの集団感染や浜松のキャバクラでのクラスター発生はは論外だが、甲府消防署南職員の集団感染、諏訪赤十字病院の医療従事者の感染といい、着実にクラスターの裾野は拡がっている。こうなるともはや日本全国に感染が蔓延して手が付けられない状況だと思っていい。GOTOに浮かれ、踊らされた連中だけがバカを見る。

 

 さらに、話を戻して「見限り」でなく「見切り」とは、「文句もはや不要と判断すること」だ。もっといえば、「切り捨て」や「見捨てる」ことだ。さらに「何かを諦める行為」、「棄却、「放棄」や「断念」することを意味する 。だから「見切り発車」などの言葉が堂々とまかり通る。

 

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 「見切り」の場には、道徳観念もモラルや制度もなく、出たとこ勝負だから「あとは野となれ山となれ状態」。これに国民が納めた多額の税金が使われるのだから納得はいかないだろう。歳費を生臓未曾有に使っている国家の中枢幹部や政治屋たちはどこを見てお仕事をしているのだろうか。

 

  最後にひとつだけ、もしこうした事態になっても救いがあるとすれば、それは為替(円相場)と国内株式相場の動向だ。円相場は大きく円安に振れていない上、株式も値崩れせずに堅調に推移している状況だ。もっと言えば、これら経済の先行指標として「チャンコロ・ウィルス」は克服できると世界の投資家・財界は見通しているようにも見える。

 

 されど、でも~だ、NY金先物相場がこの処妙に急伸、取引中心が1(おんす)=1900ドルを超える最高値に迫った。チャンコロ・ウイルス感染症の収(終)束が見通せず、景気の先行き懸念から裏社会やヤミ投資家の間では、密かに安全資産たる「金」に資金をシフトさせている。

 

 万民よ「金の玉」は甲府駅前のパチ屋の屋号(後に「アポロ」に改名、「川長」は同級生が営むうなぎ屋)」。どうやら「金」の指輪、記念硬貨や装飾品は、当分、売り急がない方が良さそうだ。いざとなれば「最後の砦は、金だ!金だ、キンだあ~!!イチ!」。そうだ、亡くなった婆さんの金の入れ歯も貴重な財産だ!