Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

坊主憎けりゃ袈裟までも

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 親切心から洗濯ものを取り入れようとしたら「余計なことをしないで」この一言には、流石にカチンときた。良かれと思い負担軽減のために洗濯ものを取り入れようとすると、この一言。親切心が仇で返されたようなものだ。歳も年なので穏やかに・・・と思うのだが・・。

 

 夫婦に限らず、恋人同士もそうだが普通の会話の中で突然キレ始めるのには訳があることを御存じないようだ。しかも、それ以降、「突然怒って不機嫌になるのはやめてほしい」とは、火に油。「言い方」によっては、癇に障ったり逆上したりもする。

 

 余計(「度を過ぎてむだなこと」という意味で、あって邪魔である、むしろ無くなって欲しいと思うもののこと)なこととは、小さな親切が厄介となり、やがてそれが「ウザイ」発展する。そうなると怨嗟の連続だ。存在のそのモノ、仕草や台所のまな板を叩く包丁の音さえ耳障りとナル。

 

 人によっては、確かにきつい物言いをしがちな人間もいる。だが、想定していない返答にはたじろぐのは自然だろう。

 

 ただ、喋っている人間は相手を突然怒らせるほど意地の悪い何かを発言したつもりは毛頭ないのが事態をさらに悪化させてしまう。

 

 だいたい、『突然キレ始める』のには訳がある。「これ似合うんじゃない?」と話しかけると「俺にも選ばせろっよ!!」とか、「ちょうどポットにお湯を沸かしてあるから、それを使ったら早いよ」と言われると、嫌味返しで「余計なことしてごめんね!」と皮肉る。

 

 ゆとりもなければ、余裕もない。同じ屋根の下で上手くやっていくには、必要以上に互いが干渉しないこと。食事も別々、風呂も別々、寝室も別々。どうやら、余計なお世話が帰って人間関係を気まずくさせているようだ。

 

 上手くやるには、程よい距離を保ちながら、お相手に対する余計なお世話は禁物なのだ。どの道、「なんで今日はこっちの道なの?」と聞いたらいけない。すると、お相手は「それは、この道を通るなってこと!?かい!道なんてそんなのどうでもいいでしょ!!」と逆切れ状態となる。

 

 それは「甘えなのか?」、「依存症なのか?」はよく分からないが、いずれにしてもそう思ったら、お相手のやることすることの全てが腹立たしくなる。

 

 で、明日は「見切り」と「見限り」について考える。