真心、寄り添う、丁寧、優しく、心配りなど、どの言葉をとっても響きが良く決して耳障りでない語群だ。ただ、これが行き過ぎると余計なお世話とか、偽善、博愛が迫害にもなりかねない。
こちら側がそう思って、配慮したつもりでも相手にとってはお節介や押し付けと取れることも多い。こうした場面世の中には沢山あって、場合によっては、兄弟、恋人同士や夫婦間にもある。
勿論、会社や学校、組織の中にも、先輩、後輩の間柄であっても例外ではない。歳を取って、最近おじいちゃん、気長になって穏やかになったと云われることもある。
ただ、ここが落とし穴。気長になって、穏やかに優しくなったのではなく、体が若い時のように動かず、エネルギッシュでも亡くなった。それ以上に「ズク」が亡くなったのかもしれない。
余計な手や口は出さず、寡黙でじっと囲炉裏端で茶でも戴いていた方が、高齢化社会の生きる道としては妥当かも知れない。
出していいのは、「カネ」だけだ。