Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

ニッポン興行

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    今日は三長銀の一角だった「日本興業銀行」のお話ではない。お笑い草の丸山劇場。まあ、こうも国会議員の資質が問われることもあるまい。地方議員にはリコール制度があるから、一定の抑止力が働くが国会議員にはそれがないことが、彼ら如きをのさばらせることになる。

 

  その一方でN国などという訳の分からない政党がお誕生。主張はというと、

 

   見ないからNHK受信料を払わないというのは法令上通りません。受信機がある世帯は基本払わなければなりません。また、他国公共放送や国営放送がネット配信している中で、日本は遅れています、我が党は推進派です。NHKをもっといい公共放送に。しかし、だからこそNHK放送法に基づいた報道姿勢は大事です。だからスクランブル化しようという話で何ら矛盾はない。 

 

 と放言している。 これって何なの?まさに「過ちては、改むるに、憚ること勿れ」だ。

 

    こうした芝居かかった政治ショーもさることながら、祭りの露店商売に始まり、プロレス、プロボクシング、芝居、大相撲、プロ野球等も皆同じだ。アマチュアの祭典であったはずのオリンピックまでもが、かつて「力道山」が活躍したプロレスと同じく事実上商業的な「興行」の一つになり下がってしまった。

 

    テレビ放映料、スポンサーからの多額の協賛金に観客から入場料を徴収するシステムを採用している全ては「興行」とみていいいだろう。こうなってくると格闘技の興行などで八百長が蔓延るように不正が横行する。

 

    こうなると裏で「反社」が力量を発揮。興行師といわれる「ヤクザ」や「暴力団」が暗躍する。N国党代表の立花も、ある意味では興行師かもしれない。元「みんなの党」代表の渡辺喜美(父:美智雄)に始まり、元秘書への暴行疑惑が出ている自民党の石崎徹や、元秘書の女性からセクハラ被害を告発された青山雅幸らの衆院議員に入党を呼びかけている。

 

    なりふり構わぬ人集めにネットでは投票を後悔する書き込みも出始めている。だが、元NHK職員だった立花は「政治は数だ」ときっぱり言い張る。先の参院選挙で得票率2%以上を獲得。党所属議員5人を満たしてNHK番組「日曜討論」に出演することが最大の眼目だという。

 

    政治ショーとしての「にっぽん興行」とみれば面白いのだが、これに高い入場料(受信料)を払ってまでもこの猿芝居を観るほど観客(視聴者)はバカではない!さあ、あなたはどっちにつく?

同じ穴の矛盾

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 今日から8月、やっとオラの命も、8か月目に語呂よくパッパと突入。あ~ありがたや、アリガタヤ!!

 

 「介助費は参院などが当面負担することで決定」、「参院は7月30日の議院運営委員会理事会で、『れいわ新選組』の重い身体障害がある2人の議員活動中の介助費について、参院などが当面負担すると決めた。」とのニュースが流れたのはつい最近のおはなし。見方によっては税金の無駄使いや、国会議員と云うだけでこれほどまでに擁護と地位と権威を与えられた。政治家は民意とはかけ離れた「オイシイ」限りの特権階層だ。だから、皆こぞって議員になりたがり、責任を取って自ら議員を辞めるなどとの発想なぞ微塵もない。

 

   さて、介護認定制度、みなさんもよくご存じだろう。介護度によって公的サービスを享受できる内容が異なる。このサービスを受けるには医師の診断も含め行政の厳格な認定がある。それも介護度はⅠ~Ⅴ度。いったん認定を受ければ逆戻りすることはない。

 

    つまり、どんなにボケを装っても認定を受けられなければ行政・介護サービスは受けられない。部屋の掃除に始まり食事の世話まで、介護度に応じて受けられるサービスは雲泥の差だ。でも、そのサービスはご存知のとおり、時間と規格サービスの何ものでもない。

 

 時間になるとサービスが入り、マニュアル通りのお世話をし、時間が来るとさっと荷物をまとめて次の介護現場に向かう。これを仕切るのがケアマネージャーだが、これとてお互いのオシゴト。各家庭の個別事情を慮るわけでもなく、言葉だけは優しくケアしているように聞こえるが、振り返れば事務的で合理的だ。そして袖の下を渡しては、主治医の介護認定診断書に手心を加えてもらう。それは、当方も実体験としてあるから言えることだ。

 

 こんな実態は都心も地方とて同じ。世話をする側も、される側も、それに行政も、これで「オシゴト」をしている関係者にとっても、最終的に介護や擁護の受益をうける者にシワがよることは誰もが知っている。だがそれを声高に誰も言わない。何故なら制度発足時から野党の発議に与党も合意したからだ。つまり、相乗りの形ばかりの社会貢献制度だからこの現実を誰も非難しない。結果、国民は死ぬまで介護保険料を支払うことにもなった。

 

 いうまでもなく、この制度は、対象となる介護者とそれをケアする社会福祉制度。当然、個別事情や感情にサービスや行政が介入する必要もなく、そんなことをしたら制度として成り立たなくなるのだ。重ねて云うが実の親を送るまでこんな経験を何度も経験した。制度の限界と現実との矛盾を感じつつ両親は亡くなった。もし、本気でこの制度を運用したらこの制度は確実に破綻する。

 

   さて、この障害や要介護の必要がある、先の参議院選挙『れいわ新選組』の特別枠で当選した舩後靖彦と木村英子氏。まさにこの制度矛盾がぶつかった。国会に「登院できない」と訴えたが、制度上は、重い障害がある人の生活をサポートする「重度訪問介護」のサービスを受けられる。だが、この規則では働き始めると通勤や仕事中にこのサービスを受けることは出来ない。制度上は自立、自活認定から制度の恩恵を受けられないのだ。

 

 都合よく言えば、「制度上は、介助を受けながら働くことができない」ということが前提になる。だが、意思疎通もままならぬ重篤な障害者を国会に送り、マイノリテイの意思や意見を尊重するために、国税や公費を投じての制度変更、バリアフリー、施設変更や数々の考慮や配慮。一票の重みと云えばそれまでだが、ここまで金を投じないと動かぬ政治とは皮肉な結果だ。

 

   諄いようだが、それを訴える側も、また恩恵を受ける側もその社会的コストは全て国民の税金なのだ。社会福祉、医療、介護や年金まで、どれをとっても、「これが正解だ!」と少しも思えない。

 

 「言葉の響き」だけに選挙民は酔い過ぎではないのか。N国の無節操極まりない数合わせも含め「劇場型選挙」はこれからも続くのか?いつからか惰民となったわが国民。これでは「謝罪」と「賠償」ばかりを繰り返して訴える隣国の愚民と聊かも変わらない。

老人の証明

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    ジョー山中の「ママー、ドユウーリメンバー(^^♪」で始まるのが「人間の証明」。薬師丸ひろ子の「お父さん、怖いよ。何か来るよ。大勢でお父さんを殺しに来るよ!」の台詞で有名なのが「野生の証明」。いずれも森村誠一の原作で角川書店が映画化した。

 

    さて、加齢が進むと、緩くなるところと乾くところがあることは先日ご紹介した通り。今日はそれに加えて「老人の証明」を続編としてご案内したい。その前に、今朝散歩の途中で同年輩のサブザックを背負った登山姿の女性に声を掛けた「この時間でしたら、高尾山か奥多摩ですか?」、「いえ、これから笠ヶ岳から槍経由で奥穂に参ります」だと。こんな軽装でお気軽にと訝ると「ええ、小屋泊まりですから」と、こんなものかと当方の登山スタイルとは全く違うことに大きなギャップを感じた。

 

   今から丁度50年前、米国のアームストロング船長が人類初の月面に着陸したラジオの実況中継を聞いた時、当方は南アルプス間ノ岳で荒天の中でポールを必死で支えながらでテントが飛ばされないように天泊をしていた。それに比べれば、なんとお気軽にお手軽にと、こうしたことが多くの山岳事故を誘発するのだと思った次第。

 

   さて、話を元に戻そう。これは当方自身にも当てはまることだが、加齢が進むといろいろな変化が起きてくる。しかも、前期高齢者と75歳過ぎの後期高齢者とではその特徴が明らかに違う。大凡、お年寄りになるとお話は「クドイからみ」から始まり、「懐古」、「教訓」に最後は「お説教」で締めるのが相場だ。

 

    でも、こうしたことがひと通り過ぎると、言葉少なくなりお年寄りにとって周囲の景色は、北海道の雪原を走るようなSLの姿のように無彩色な光景にしか映らない。当方とて同じで、今は遠い昔のことしか思い出せず、蚊帳の麻の匂いの記憶とヘチマの棚の下で浴びた行水の木樽の香りしか思い浮かばない。それになぜか北風に唸る電線の音に、パタパタとトタン板がめくれる音が耳から離れない。

 

    そう云いつつも、現実に戻ると買い物をした後のレシートの割引商品の値引きが気になり、万歩計の歩数がヤケに気にかかる。それに日常のルーテインが一つでも崩れたり、抜け落ちたり、自動車事故など予定外のことが起きたものなら、簡単に体調を崩してしまう。「たかが・・」ではあるが、それほど、高齢者にとって規則正しい、いつも通りの日常は健康維持のためにも大事なことなのだ。

 

    亡くなったオヤジが自販機に千円札を入れて愛飲の缶コーヒーを買ったがつり銭が出てこなかった。そんな些細な非日常など、どうでも良いことだと思った。が、当人はそのことは一大事で猛烈に腹を立て体調を崩し寝込んでしまったことを思い出す。歳をとって行き過ぎた老人とは、そんな単純な生き物かも知れない。

 

   そう考えてみると、どうやら一般的にお年寄りとは日常生活に成果や結果に出ない割に、妙にプライドが高く、変化に対して頑(カタクナ)だ。そのくせ地域や周囲との人間関係が希薄で、外部やコミュニティ活動も面倒臭がって積極的に参加しない。

 

   さらに、何事にも屁理屈をつけてはマイナス思考の連続。これこそ当方とて同じ「老いの病」の証明かも知れない。

爺(自慰)的絵日記(2-2)

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 これは病人特有のストレス障害で、自分自身の体が思うように動かないことからくる「恨み」、「妬み」や「嫉み」の類なので、掲載に大きな意味はない。したがって、健常者に対する病人の「僻み」、「戯言」だと思って読み流していただきたい。++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

 昨日に例えるまでもなく、ブログ、ツイッター、SNSやFBは、例えば趣味、闘病、サークルやオシゴト、愚痴や社会・政治批判などをテーマに掲載されることも多い。お仲間同士のやり取りなら敢えてその内容を公開する必要もなく、LINEやメールでのやり取りで十分だ(一部には悪意を持って当事者間の情報を公開するケースもある)。

 

 でま、当方はそこまでしてお仲間らと繫がろうとは思わない。ご指摘した通りアップされる度に「いいいね!」や「コメント」が付されることにも閉口する。芸能事務所やファンクラブ、それにアフリエイトで収入を獲たいのならともかく、内容によっては無用にやっかむ連中、批判や避難する人達も多い。記事、コメント如何によっては、脅迫、強要罪のような犯罪性のあるものだってある。だから掲載には慎重を期した方がいい。今のサイバー空間には秘匿情報なるものはなく、当人の特定はおろか個人情報も国家機密さえ簡単に入手出来てしまう。

 

 自省を込め、掲載趣旨や目的は何辺にあるのか。ご自身の経歴、ご苦労、経歴、交際の広さや交友関係を通じた自己顕示なのか、それとも今のお立場や環境を外部に理解してもらいたいだけなのか。それが単なる「独り言」、「呟き」や「ボヤキ」に過ぎればいいが、その意図や意思が誤解・曲解されることが危ないのだ。

 

 この場には、「オトナ」もいれば「ガキ」や「おタク」や「キチ害」もいる。だから、考えようによって「騒ぎ」を起こすのは簡単だ。でも、批判も中傷もせず沈黙したまま企てや謀をされるほど怖いこともない。また、ちょっと気軽に意地悪をしたことをキッカケに、猛烈な批判の応酬が始まることもある。かくして、これが『炎上』や『事件』に繋がる。

 

 諄いようだが、私事やプライバシー公開の本音は何か?これが差し障りのないライフスタイルの公開ならば気にも留めない。でもネットがなければ、世間との関りや繋がり、自身の生きている価値や世界観が喪失してしまう人間もいる。それに錯覚や恐怖感に囚われ隠しゴトや秘めゴトを世間にチラ見させるM的な自認や存在欲求が強い人もいる。これが度を過ぎると「ネット依存症」という本物のご病気の域に入ってしまうのだ。とくに当方のように冗長で脈絡のない拙文を掲載する人間ほどその傾向が強い。

  

 無闇に外を意識する必要もなく、「いつもの呼吸で」、「いつもの歩幅で」、「肩に力を入れず」に眺め、事実だけを淡々と描いている方がいいのかもしれない。蛇足ながら、当方の家族は、当ブログの存在自体を知らず、一向に興味も示さない。そんな家族は当方以上に「オトナの世界」で生きているのかも知れない。

爺(自慰)的絵日記(2-1)

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   これは病人特有のストレス障害で、自分自身の体が思うように動かないことからくる「恨み」、「妬み」や「嫉み」の類なので、大意はない。したがって健常者に対する病弱者の「僻み」、「戯言」だと思って読み流していただければありがたい。

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   当方もブロガーなので、ご批判をいただくことかも知れない。誹謗・中傷記事、脅迫、名誉棄損や犯罪紛いのコンテンツは論外だ。コメント一つで障害や殺人事件まで起きてしまう。お相手が、匿名が故にこれほどネット社会は恐怖の世界なのだ。

 

   でも、その一方でフェイクやナンセンスな記事も多い。「だったら読まなきゃいいと!」とか「タヒネ(死ね)」を平気で口にする方も多いだろうが、ついつい目が向いてしまう。

 

  「朝、私は起きました。走りました、楽しかったです、ランニング中で知り合いのラン仲間に会い談笑しスマスタ」。そのうえ、「今日はこれから整体、明日は美容室に、エステに行ってまいりヤス。」そして、「先週は、どこっ、どっこの山に登り、会社帰りに駅前で一杯飲みました」ともある。「やはり自然と山登りはいいですね!」、「お勤め楽しそうですね」などと、ご当人の掲載に「ヨイショ!の提灯コメント」も数多く散見される。

 

    ご当人の掲載趣旨は分からないが、掲載にいち早く反応するヤラセのお仲間の方々も多いのも事実だ。出来レースなのか、「いいね!コレクター」や「私設劇場」なのか、掲載の真意は分かりかねる。でもそのコメンント対して一つひとつにご当人が返信しているのを見ると、意外にご当人はコミュニケーション下手な「おサビシイ」お方かもしれない。

 

 齢を重ねると「そのお歳で!」、「凄いですね!」と絶賛されることが、ご本人にとっては冥利でこれが生きがいにもなる。これを当方は「自慰(爺)的比較優位論」と名付けている。同年輩と比べて健康、体力や美貌などの優位性を保つことで、ご自身が満悦を味わことが快感かも知れない。

 

    お年の割に「ご健康ですね」、「ご立派」や「お美しいですね!」などの美辞礼賛を期待し、無理してでもジム通い、趣味、旅行、登山や、美容室、エステ、サイクリング、整体にランニングに励む。ご自身の日常のお散歩にはじまり、体力、練習記録、登山経歴、呑み友日記や私生活、海外旅行などを公開すること自体が楽しみらしい。

 

   当方もそうだが私生活やプライバシーを他人に暴かれるのは厭だが、それを知って欲しいといった真逆の自己的潜在(自己承認)欲求は誰にもあるようだ。クドイようだが、お仲間なのか、お知り合いなのか、その一つひとつへのリトマス反応コメトを見るにつけ、さすがに「オタク仲間」とはこんなものかと閉口してしまう。

 

    大の大人が「今朝は起きました、何処どこへ出かけました、そして午後からランニングに出かけました、そしたら誰、彼に会いました。季節を感じながらもスピードはこれくらいで、体力のなさを痛感し、そしてエステやマッサージでリクライゼーションして体をケアしました」、そして「今日は疲れて寝ました」とある。これって小学生低学年の夏休みの絵日記よりヒドイ内容だぜ!