Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

お雪(「お」尻ーズ:4-3)

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 増位山大五郎の持ち歌。「もうって産まれた、あ~の時が、さ~あダ~メなら♪」が、「もって、うまれたっ~あ♪」て、ナントくどくて、オブラートで包んで風呂敷に巻いて、煙に巻くようなこの表現。演歌の歌詞なら通ずるが、現実に聴くと歯がゆいばっかりだい。   

 

 最近こんな言い回しがまかり通り、誰にしても歯切れが全く良くない。何に配慮して、慮っているのか、滑稽・茶番に見えてショウガなあ~イい。下世話だが、元ヤンの木下優樹菜が芸能界引退と事務所発表のコメントも「信頼関係を継続することが著しく困難」とかと表現している。簡単に「ウソ、ばっかりなので、信用ならんから本人との契約を打ち切りました。」といえば、よほどスッキリするのになあ~。

 

   それどころか、政府筋や諮問会議のオエライちんの「全くの可能性を否定するものではありません」とかいった、ご答弁や話術、わかりますうぃ~!!このカラクリの虚言癖。まあ、確信犯の佐川元理財局長と云い、モリトモ問題で財務省の事務方トップの財務次官に、ロンパ目の太田主計局長が内定したのだからな。これをウソが上手につけた高級官僚に対する論功人事と云わずして、何という!早見、優!!

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 こんな云い方ばかりを聞いている、今頃の子供たちが大人になれば、さらに輪を掛け重畳的に表現するだろう。例えば、「紅は赤いほど、赤くはないが、紅色に近いほど赤い口紅のような夕焼け、朝焼け」と、もって廻した作文を書くのだろうな。これでは力はおろか口先だけの詭弁ばかりがやたらと上手になるだろうな・・。

 

 とりわけよく使われるのが、危険性や可能性などの「〇○性」。それに誤魔化しが殆どの「等」や「等々}、「一部」、「~の方向で」、「総合的に判断して」とか、さらに「部分的にはそれは当たるかも知れない」や「全てを否定するものではない」とか、核心や確言を横に置いたままの装飾語や脚色の多いこと多いこと。これが今のご時世、最終的に言葉に窮すると、誰もかれもが「いいじゃあナイのう!」との結び言葉。

 

 代表的なのが、最近のチャンコロ・ウィルス問題に対する専門家のコメント。「リスクが高まっている」といいつつ、その後が戴けない。「感染はしているが、無症状でもリスクが高い人とリスクが低い人がいる」、加えて首長の都道府県知事も「自粛を要請できるのではなくて、『自粛の協力ができる』」と、平気で弁明するお粗末君。防疫より国内経済とハッキリ言えば、云いの良いのになあ。

 

 これって、普通の人が普通にこれを聞いて何を言っているのか、わかりますう~?

わざと分かりにくくさせているじゃあ~ねえ~の?これも外向けの話術か、魔術か?

 

 これらを、普通は「詭弁」という。こうした言葉を使う人に対しては信用も信頼の欠片なぞ微塵もない。お近くでこんな人を見かけましたら、どんな地位の人であれ、絶対にその人を信じてはいけま仙蔵!これを若者文化とは異常、上海から徳兵衛からの報道は以上です!

 

 PS:すっかり「お雪」は増位山の唄だと思い込んでいましたが、これって内藤国男九段棋士の十八番ですた。ボケが始まったようで「お詫びして、訂正いたします」