新潟村上の民家の庇に干してあるのは、「鮭」。今年のお正月、子供夫婦や孫たちとの集合写真を撮ったのが今から5か月も前のこと。そういえば、甲府に帰省(帰甲)したのが今から丁度半年前、足繁く帰甲していたのに。
今はそれも叶わず、親しい人はおろか友人にもご無沙汰やら、肉親や親戚づきあいもほとんどしていない。病で身体がとはいえ、果たしてこんなことでよいのだろうかなあ!
ときに、巣ごもりも約5か月にもおよび。こうなると夢見ることは勿論のこと、過去のことばかり。昔のことが気にかかり、思い浮かべるのは辛く激しく進んだあの時ばかりが、思い出される。後ろ向きになると、気が落ち込むとこんなことばかりだ。
大学病院の受診もリモート受診・投薬に、予約外来・検査は先送り。まあこうなると、早朝散歩もままならず。身体は痩せ鈍り、惰眠とテレビだけの世界。一念発起!昨日は心を決めて24時間営業のドラッグストアの「ウェルシア」が商売している隣町までのお散歩。案の定、昂奮しすぎて午前2時には目が醒めた。マッチ切れず2時半過ぎから活動開始。でも、翌日は足がつっての筋肉痛。
前夜から準備したサーチライトに赤色灯に蛍光ベルト。準備万端!防寒用具も揃えてザックを担いでのイザ出陣。でも、何か忘れた気がする。そうだ「携帯トランジスタラジオ」を忘れたのだ。これではいつもの「深夜ラジオ便」アナウンスが聴けない。リズムと歩調が合わないのはそのせいだ、当然だ。
気づいた頃には「トキ」すでにお遅しかとといつつ、いつものコースに歩みを踏む。馴染みの店に買い出しに出かける。午前3時前にはお店にご到着。「お久しぶり」とか「どうなさったのか」、と訝る女子店員や顔見知りのからのエールも多い。顔なじみだから故に仕方もあるまいが嬉しい限りだ。言葉だけを訊いていると当方、とうに死んでいたようだ。
夜明け前の一番鶏の「コケコッコウー~♪」の鳴き声が澄んだ空気に響き亘り、江戸春ゼミや小鳥のさえずりも・・・いつものように久方ぶりに清々しい。久しくなかった「徳散歩」だ。巣ごもりしてしまったこの5か月。チャンコロが収束した訳でもなく、ただ。ただ時間だけが過ぎた(杉田)敦子。でも、自然の営みは偉大で悠長だ。水を張った田植え前にカエルが鳴き、田畑も耕作が進んでいる。まるで、つい、最近まで何事もなかったようだ。でも、あきらかに違うことがある。親しき人を失くし、友や知人それに血を分けた人々もこの短い間で目の前からこの世を去った。
道すがらの田圃の畦道で。思わず曇天の天空を見上げて思わず叫んだ。「石井さ~ん、何故、死んじまったのか~よ!会いていよ!」と大声にした言霊だけが苗代を走った。できればもう一度お会いしてお礼を言いたかった。久々のお散歩に足が震えると同じく心も震えた。明日も出掛けられるかどうかは誰にも分からない。