Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

ローリング・ストーンズ

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   「賜わった『このいのち』を生きる」とは、一体何なのか?。「人」として「個」として今生に産まれ、こうして生きていることは計りし得えず、言葉ではいい尽くせない。ここに生きていることこそが驚きであることを、イマサラ乍ら思い知らされた。

 

    人は願ったり、叶ったりとなれば大喜びして、気力も充実してやる気満々にもなる。でも一度、思いどうにもならないことに出遇うと、その原因を時代や他人や置かれた環境に求め、挙句に無気力となって爆走・暴走する。そして、やがて己に不満や恨みを抱いて、空しい日々を送るようになる。

 

 「負けっぱなしの人生、勝ち組の奴等にこの心情は分かるまい」。そいつらは自己中心的で身勝手だ。殺人にせよ、事故にせよ、疫病にせよ、重篤な病にせよ、何の因果もなく突然命を奪われることもよくあることだ。善人にも悪人にも等しくその先の人生がある。現実は多くの人々を深く悲しませ、不幸のどん底にも突き落される。イマサラながら世の不条理と無情を感じる。

 

 「負けっぱなしの人生」とか、「孤独、孤立だ」と嘆いてばかりでもいられまい。勝組、負組の視点でしか、モノを見ることができなくなっている輩にこそ仕置きが必要だ。

 

 今回に限らず疫病や厄病は無慈悲にこの世を襲う。誰、彼となく選ばれた者だけが死神に見つけられて「死」に向う。いままで、自分の都合のいい物差しだけで人を選び、付き合いをしてきた。人間の値打や価値を比べたがってきた己の醜さに反省しきりなのだ。

 

 ようやく、政府は重い腰を挙げようとしている。時すでに遅し。時宜(機)にあってこそ、 「緊急事態宣言」 も素敵なタイミングになる筈なのだが・・。

 

 これを逸失してしまえば、国民、市民は奈落への坂道を転げ落ちるしかない。これほど人の命と努力はお国から軽視、侮蔑され、個の力はなんと無力で空しいことであるかを改めて痛感させられる。