「将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎ合せることなどできません。できるのは、後からつなぎ合せることだけなのです。だから、我々は今やっていることが、いずれ人生のどこかでつながって実を結ぶだろうと信じるしかない。「ステイ・ハングリー、ステイ・フィーリッシュ」(2005年)
つまり、点をいちいち意識すると、過去の点が今に繋がっていると思いたくなり、ムリクリに過去と現在との整合を取ろうとする。その結果、余計なことを考え、自らの行動範囲を狭めてしまって日常を息苦しいものにさせてしまう。
過去の自分なんぞが夢見たことや思い描いたことなど、今さらどうでも良いことだ。 象徴的なのが携帯電話、LINEやフェイス・ブックなどだ。これらは、どうでも良さそうな「点」をとにかく繋げおきたいがためのタダの道具だ。
でも、本人にとっては、友達や外界に繋がっておくための必需品だ。これを失くしたり、手許にないと不安で、不安で仕方がない。食事中も、入浴中も、通学、通勤途上でもとにかくスマホが手から離せない。それに相手からの電話や返信メールが届かないと、自分が独り取り残された気分になって、気が滅入ってしまう。傍からみればこれは明らかに病気だ。でも、本人はそのことを全く自覚できない。
メルアド、写真や電話帳も捨てられないし削除もできない。それは、もしもの時に役に立つからとの思いが強すぎて、繋がりを切ろうとしない。これは、その人の弱さであって、自らをリセット出来ない。これこそが「拘り・コダワリ」「未練・ミレン」「執着・シュウチャク」という病なのだ。 時として点はいずれ線になることもある。だからこそ前述のとおり、
「いずれ人生のどこかでつながって実を結ぶだろうと信じるしかない。」
という結びになる。過去のヒトもモノも経験も、捨てた分だけ、新たな出会いや新しい発見が得られのだ。
(今日のおまけ)
時折、ブログがお固く抽象的で何を云おうとしているのか分らない人も多いことでしょう。当方の周りには少なからず知り合い、友人や家族もいます。でも、当方の家族すらこのブログの存在を知りません。また、公開しているにも拘わらず一部の人を除いて友人や知人さえ、当方がこのブログを書いていることを知りません。
当方から見ていると、閲覧者の中には病気を抱えた人もいれば、仕事に悩んでいる人、シングルになった方、妊活に必死に取り組んでいる方やいろんな障害を抱えた方もいますし、精神的に相当参っている方々もいらっしゃいます。
そんな方々を想い浮かべながら、そんな人たちへのチョットした応援歌として記事を書いております。
多少、脈絡がなく読みにくい部分もあるかも知れませんが、きっとその方々が読めばご理解いただけるものと信じ、その人の力になれるよう懲りもせずこれからも拙文を掲載してまいります・・・・
ここで、しばしZzzzz〜〜。
チョットお疲れザンス。