今日は、一昨日掲載した「My Dear」に関連した話題を差しあげたい。
ダウナーの本来の意味は、「俗に、気分を落ち込ませたり落ち着かせたりする物事のこと、またはその気分自体のことである。 Downer。 人間関係の構築に消極的だったり、どことなく影のあるものを『ダウナー系』と呼ぶ。 また英語では鎮静剤のことを指すこともあり、転じて精神に影響を及ぼす薬物による効果を表す際にアッパー系、サイケデリック系などの言葉と一緒にも用いられる。」
聞いてもいないことにやたらとベラベラと喋る人、一見、陽気そうに見えてアッパーかと見間違える人がいる。本当はダウナー人間で、根クラで心が沈みどうしようもなく不安で将来の自分の姿から目を背けようと必死にもがくタイプ。きっと、突然のことに現実が受入れられず、現実が認められないのだろう。
例えは悪いが、便所の100W(電球)「トイレは多少薄暗い方が良いのにヤケに明るいことを指す言葉」という言葉をよく耳にする。こういうタイプの人が究極の局面で選択を迫られた時に、それまでの自身の理屈では解決できず、自己矛盾を抱えたまま、突然、トイレの電球が切れてしまうようなことをイメージすればお分かりになるだろう。こういう人がダウナー!
では、アッパーな人の方が良いのかというと、そうでもなさそうだ。この類の人は、目先にある物、目に見える物しか信じようとしない。その上「幸福願望」がやたらと強く、人とのコミュニケーションや反応は、いつも画一的で変化や多様性がない。そこにいくとダウナーな人は、そもそも目先の利益に囚われないので、他人には判らない超越的価値を持っている。そのうえ、常に自問自答を繰り返している。もっと言えば、ダウナーな人の方がアッパーな人より柔軟な思考回路を持っているのかも知れない。
さて、あなたはアッパー、ダウナー?それともサイケなお方?
(今日のおまけ)
人生は、ゲームやアプリのようにそう簡単にはリセットや復活はしない。今ここにある危機の原因が過去の過ちや判断ミスにあったとしても、今抱えている問題の解決には何の役にも立たない。
ダウナーでもアッパーな人のどちらでも構わないが、燃えさかる火事のなか、まずは、消火に専念しなければならない。それなのに出火原因を聞いて回るようでは駄目だ。原因を探るのではなく出された結果にどう対処するかが重要なのだ。
真の意味で「心に寄り添う」とは、軽々な「言葉掛け」をすることではない。人と人との間に土足で平気で割って入るようなバカには、人の「心に寄り添う」ことなぞ到底無理難題。
バカは自分のバカを認めたがらないので、周囲の人心は本人が知らぬ間に離れていく。そのことを知らぬは本人バカりなり!
この馬鹿者が!! 1回死んで来い!!
N御大の手術日が1月下旬に決まった。あと1か月余、御大の悶々とする日々に気分転換を兼ねて、ドライブがてら海を見に連れて行ってあげようかと思う。