Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

マザコン

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    最近、オリジナル写真の掲載が多くなってきた。掲載記事もさることながら、このところ独自性が増したのか?それというのも実体験をネタにし始めたからかは良く解らない。読み手のみなさんにとっては余りピンと来ないだろうが、日記代わりに書いているこのブログに対する自己満足度は徐々に上がって来ている。

 

   で、今日もつまらぬプライベートなお話。父が亡くなって5年、母が亡くなって3年。葬儀の際、地元紙の「おくやみ」欄にはその旨を掲載したが新聞の購読者でも両親が亡くなったことをご存知ない方々も多い。そんなこともあるだろうと自省しつつ、実家に郵便物が溜まると防犯上もよろしくないので、毎年、甲府中央郵便局に父母宛の郵便物の当宅への転送をお願いしている。

 

 でもこれが奏功してか、都度、都度、両親あての郵便物がわが家に転送されてくる。先日も亡き母宛に女学校から同窓会の開催を知らせる郵便物が届いた。存命ならとうに90歳を超えているのに未だ通知やご案内が届く。そりゃそうだわな!同窓会事務局では母が鬼籍の人となったことを知る由もないのだから無理からぬ話だ。

 

 案内に添えられていた「同窓会だより」を見て母が中巨摩郡に所在する山梨県立第三高等女学校(現:県立巨摩高等学校)の出身であることを改めて知った(県立甲府第一高等学校は男子校、県立甲府第二高等女学校・・)。

 

    戦中派の母が戦時中女学校に通っていたとは驚きではあるが、野良仕事しか知らない文盲の母(祖母)に7人兄弟の末っ子として大事に育てたられたことを考えると、当時は「いいお嬢ちゃん」だったんだと感心させられる。

 

   その母が、終戦間際、往来する車など殆どなかった県道で通学途中に路線バスにはねられた。そのことが地元山梨日々新聞に大見出しで「女学校生バスに轢かれ重傷」と載った。 

 

    さぞ、本人も祖母も驚いたことに違いない。そんな昔話を想い出しながら転送された同窓会々費の振込表の連絡欄に「母は平成28年に永眠しました。振り込みました会費は母の気持ちとして寄付させていただきます」とそっと添書きして送金させていただいた。

 

   そんな様子を極楽にいる母は、どんな気持ちで眺めているのだろう。もうすぐ母の命日がやってくる。

 

   お墓参りに帰省したいのは山々だがこの身ではそれも叶わぬ。はよ!春よ来い!!