まず、ニュータウン(NT)と呼ばれる冠が付いたのが郊外型住宅。40年以上も前、当時の規模は千戸戸以上が基準とされていた。若い夫婦がこぞって抽選で先を争った分譲世代は今や昔。棲む住人は後期高齢者でほとんどで、相続も儘ならず廃屋、廃れた街で誰も住んではいないのが現実。当方の自宅近くにも「多摩ニュータウン」なる集合住宅があるが、もはやここも廃墟に近い。
かつて公団や公社が開発した「ニュータウン」で、賃貸が主流の場合はほとんど問題化しない。古くなった建物は住人に立ち退いてもらい、取り壊して再生すればいい。現に、URの賃貸住宅団地では再生が日々進んでいる。
だが深刻なのは分譲住宅だ。所有者が個人なので、強制的に再生することはできない。各人の財産権が守られているのが背景にあるからだ。
特に問題なのは、資産価値が見いだせなくなった戸建住宅。例えば東京都港区の麻布界隈のマンションだと、最初の入居者が高齢化して住まなくなっても、他に誰か住む人が必ずと言っていいほど現れる。相続した子どもであったり、新たに購入したニューカマーであったり、賃貸募集に応じた賃借人などだ。
しかし、当方の拙宅近くの八王子で駅から徒歩17分、築40年以上の集合住宅の場合、当初の入居者が何らかの事情で住まなくなっても、次に住む人は容易に見つからない。子どもがいたとしても、そこには戻ってこない。大学を卒業してIT企業に勤めていれば、湾岸エリアあたりのタワーマンションに住んでいるのが常。
誰も住まないので、相続した子どもが売ろうとしても買い手は容易に現れない。賃貸募集しても借り手は見つからない。その結果、放置される。放置される住戸が多くなると、まるで廃墟のようになる。それが「廃墟化」の進行と深刻化だ。
この廃墟化の問題は、多摩ニュータウンのような集合住宅が中心の街よりも、戸建て住宅ばかり、名ばかりのニュータウンの方が問題はより深刻だ。木造の戸建て住宅は人が住まなくなると、短期間で見る影もなく朽ちていく。見た目にも廃墟化するのだ。
これが大都市の都心から1時間以上の通勤圏で進行しつつある。首都圏なら埼玉県や千葉県の駅(北総線:千葉ニュータウン駅など)からやや離れた場所で30年以上前に開発された戸建てのニュータウンが、軒並み廃墟化の危機を迎えている。
その現実を目の当たりにすると、いかにそれまでが虚構であったことが判り空しい限りだ。踊って踊らされたあの時代は一体何だったのだろう。