Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

違いが分かるⅣ?(エールの交換:末巻)

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 「区別」をすることは人間が生きていく上で、重要なことだ。「区別」がなければ自身を高めることもできなければ、危険から身を守ることもできない。だが、それが決めつけた嘘やニセの知識によって、これが「差別」につながるとするのが一般論。

 

 ところが、最近は大人と子供の区別さえこれを差別だと云い始めた。それでは、子供料金も、三歳未満の乳幼児の航空機への搭乗も「差別」にあたることになる。一定のハンディや特性を認知していてのお話なのだから、これをそもそも「差別」とは云わない。

 

 ただ、悩ましいのがその境界線にある事態。例えば、正規雇用社員と派遣社員などの非正規社員は、ある時は区別だが雇用環境が悪化すると「雇止め」、「ハケン切り」などの差別問題が生じてくる。だが待てよ、もともと事情や背景がそれぞれ異なるにせよ、フリーランスは一定の体制に拘束されない、つまりサービス残業年功序列や終身雇用に対して抵抗感を持っていた人々だった筈だ。ここで、彼らのことを「人々」と呼んだがここで当方が彼らを「族」と呼んだ途端に「差別化反対」の大合唱が起きるだろう。

 

  でもね、マーケチングの世界でも差別化戦略なる営業手法が堂々と存在しているではないか。この場合の差別化とは、モノが溢れる市場の中で他社とは敢えて異なる価格、サービスや商品に明確な違いを生み出すことによって、各社が鎬を削って生き残りを目指している。何故なら、大衆も消費者も選択肢が多くて、それぞれの違いが分からない場合に、消費者に限らず決断を回避する動きに出る。だから、売り手側はそこを突く。

 

 それがうまく機能しなかった場合には、お客からの人気を獲得できないまま、その会社は市場から取り残されるか、退出することになる。

 

 だからこそ、昔ながらの市場慣行や慣例にしがみついた企業や人は、いずれ淘汰されていく。故に、条件や環境があるにせよ差別は一定程度許容されるべきものだと思う。

 

 「区別」と「差別」を混同してはならない。前巻でも申し上げたが「偏見」とは、先入観による見方、考え方のこと。「差別」とは、正当な理由がないのに不利益な取り扱いをする行為のこと。やみくもに、ただ「差別」に反対することが是とはしない。何故なら、この世には偏見を持たない善人ばかりが共存していないからだ。

 

 最後にこの徳兵衛は、「差別主義者」、もなければ「偏向思想主義者」ではないことだけはお断りしておく。本日はこれにて都合四巻、全巻のオシマイダス。引っ張って、引っ張り抜いてきた映画「徳(寅)さんシリーズ」のようでございますのう~、「おそ松君!」。この次はもうこの手は使えんな!!