Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

違いが分かるⅢ?(エールの交換)

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    ララ~♪ララ~♪違いが分かるオトコのコーヒー「ネスカフェ・ゴールド・ブレンド」!さて、この違いが良く解らない。とりわけ、最近話題のヘイト。差別や偏見は何処にでもあって、当方幼少の砌から某国人を茶化してはそれを遊びにしていた。でもここにきて差別、区別、偏見の使い分けが全く解らない。今はこれを問題視しているだけにも見える。

 

   心苦しくも、当方の身内をネタにしたくはないが、「障害者」と「健常者」いう区分けは「区別」なのか「差別」、それとも「偏見」なのか。辞書を引くと「区別」とは、あるものとの違いを認めて、はっきり両者を分けることとある。一方で、「差別」とは、偏見や先入観を元に特定の人々に対し不平等な扱いをすることとある。どうやら、「区別」は相手を認めた上での分け方で、「差別」は認める前に分けられてしまうことのようだ。だから、男女の別は区別であって、差別ではないとも書いてある。

 

    ふむ、つまり差別とは認める前の仕分けを排除することを云うらしい。だから、そのことを理解しないままに排除、排斥してはいけないらしい。でも、普通に常識や常態と違うと、当然にここに偏見が生れ、これに嘘や噂がつくことは良くあることだ。

 

   ところがここでご一考!〇〇、××問題もそうだが、元来「差別」と「区別」は生きる上で、重要なことだと思うダス。本来的に、人間はどの道、人種にせよ氏育ちにせよ、危険回避のため、いじめ問題然り自身を優越的な地位に置きたがる習性がある。それを区別だとか差別とか偏見だとかいって、これを一方的に禁じる行為は如何だろうか?

 

 もっと言えば、転校、田舎への移住に始まり、転居、転勤、転入、新入の際には、一定の差別を受ける。それは、前からそこに在籍、生活する在来種が外来種や新参者に対して拒絶感や嫌悪感を持つ。これは自らが生き残るために、他を排除する手段であることは当たりのことだ。だから昔から、日本人は外国人を外人と呼び、黒人と白人と区別してきたことに何ら抵抗感もない。むしろこうした感覚をも強制しようとする動き、例えば化粧品会社が、「ホワイトニング」のCFを自粛するようなことは、そもそも危ういと感じる。

 

     差別とは先天的に有るハンディや存在そのものを認めないということ。それを理解しようとせずに排除する行為が差別化に繋がる。政治的、思想的に極右、極左があるように振り子が一方向に大きく振れ出した時にその反動で差別化が激化する。結果的に、これが「差別化(反対)などの社会運動」に繋がっている。意識するほど差別化のウネリは強くなる。

 

    時に、「偏見」とは差別化手前の考え方や見方であって、ここで止まっているうちはいいが、これが挙に出たときに恐ろしいことが起きる。今日はここまで、続きは明日の心ダ!