「男の肩と背中には、昔の影が揺れている・・♪」で始まる増位山大五郎の「男の背中」とニック・ニューサが唄う「サチコ」の2曲には特別の想い入れがある。
かれ頃今から40年もの前、甲府の武蔵野映画館前のスナック「峰」で十八番として良く唄ったものだ。でも、「女の肩と背中には、人それぞれの歌がある・・・♪」といったような「女の背中」はあまり聴いたことがない。ただ、「女の背中」ではなくても「お袋の後ろ姿」は、いまだかつて心の中に残っている。
米、味噌や醤油をご近所に借りに、平身低頭「お給料日には必ずお返しますから・・」といっては、内職をしながら喰い繋いだ極貧時代。当時、高等女学校卒のお嬢ちゃんだった当時のお袋の姿は、子供ながらに哀れにも悲くにも映った。
父親と区別するつもりはないが、女親というものは、そこはとなく淋しさを感じても、その心の奥底に「信念」や「強さ」を感じる。どんな時も、どんな場面でも子に寄り添い、子を守ろうとする姿は懸命にして哀れであっても「逞しさ」だけは消えない。自分の食いぶちを減らしてまでも出ない母乳を懸命に子に与えようとする。父親にもそんな気持ちがあったかどうかは分からないが、そんな父も、晩年誰にも看取られないまま独りで逝ったことを思うと、それに対してまた違った哀れを感じる。
台所で懸命に炊事をする母親の割烹着の後ろ姿、煮物の匂いや焼魚の香り、麦の混ざった飯が炊き上がるあの匂い。そして、路地裏から流れ出る七輪で焼いたサンマの煙。貧乏だった狭いながらも楽しかった我が家。あの頃、生活は荒んでいたが妙な温もりがあった。
ご存知ではなかろうが、田舎から街に嫁に行くときは、街への早道を使わない。仏さんを火葬場に連れて行く道と戻る道を違わせるのと同じだ。大八車に花嫁道具や着物一式を載せて、わざわざ遠廻りをしながら川下の橋を渡って街に嫁ぐ。
なぜなら、「この道は二度と戻(通)らないこと」を誓うからだ。つまり、離婚して実家にはもう戻れない(出戻らない)ことを宣誓するのだ。どの夫婦もそうだが、長い人生連れ合いとの間には、喧嘩はもとより何度か離婚や別離の危機が訪れる。でも、旦那はその度ごとに嫁さんがその橋を渡って嫁に来たことを忘れてはいけない。
幼き頃にそんな光景をこれまで何度も見てきたが、そんな時に限って割烹着姿の母親の後ろ姿を思い出す。振り向いて顔は見せないが、あの匂いと一緒に妙に語りかける仕草が目に浮かぶ。今、存命ならきっと振り向いたら何も云わずに、微笑みかけるのに違いない。
母親の背中とはそんなものかも知れない。とは言え、「まだ、呼んでくれるなよ!お袋さんよ。こっちでやり残したことがあるので、ちょっと、まだそっちの世界には往けない。」
今日のテーマ選定。お伝えしておきますが只今が夫婦の危機だから、こんなネタを敢えてご披露した訳ではありませんので呉々も誤解なきように・・。では、今日はこの辺で・・(m´・ω・`)m ゴメン…!くださいま~せ。(@^^)/~~~。