Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

いまさらジロー

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 朝のテレビは連続ドラマ小説(なぜ、テレビドラマなのに小説というか不思議だ)くらいしか視ないが、それでも決まった他局の番組の天気予報と占いだけはしっかりと見ている。目的の一つはお天気だが、その日の運勢も気になる処だ。その一方で番組の音声だけで朝の気忙しいなか時間が判るのは有難い。因みにその日の占いが悪いと、チャンネルを回してしまう(←これ昭和20年代生まれの時代臭)。

 

 そのチャンネルを回していたら、池上彰が「なるほど」と思えることを解説していた。

 

 日本の少子高齢化は、いまに始まったことではなく、GHQが戦後の「産めよ、殖やせよ」の時代から膨張した人口増加(当時の出生率4.32)に懸念をいだき、日本に少子化への道を歩ませたそうだ。つまり、当時ソビエトと冷戦状態にあった米国が、人口が増えすぎると食料問題や失業問題が深刻化し、日本が共産化に向かうことを恐れこの政策を主導したのだという。

 

 昭和25~27年頃の日本のベビー・ブームを見て、いの一番に米国が慌てたらしい。市街地のみならず農村部で当時の人口急増は驚くべきもので、学校や病院などの公共施設の建設や整備が間に合わず、いずれ国の財政も苦しくなることが分かっていたらしい。 

 

    そういえば、当方の小中学校時代は校庭も今では考えられないほど広かった。その一方で1学年はどの学年も10クラス以上で一学級は50人にも及んだ。その話を聞いて、そんなことが時代の背景にあったのだと思い知った。

 

 そして究極の少子化政策が「優生保護法」の成立。これを多産による母胎保護を立法根拠としたところが凄い。以降、保健婦なる医療関係者が農村や山間地を巡回し医学的見地から多産や劣勢遺伝の弊害を説く。しかも「子供ができること、産むこと、つくるのは害悪」とばかりに、先の中国の一人っ子政策を彷彿とさせるような思想統一も図っていった。

 

 その後、学歴社会、ゆとり教育に、男女雇用機会均や国保の3号被保険者の優遇廃止等へと時代は変遷していく。昨日のブログの話題を持ち出すまでもなく、この国はこの国であってこの国にあらず。「責任者出てこい!」と声を荒げたところで、「見えざる手」がこの国を支配している。時すでにおそし、少子化ですらこのざまだから、今更、何を悔やんでも、全てを甘受するしかあるまい「ごっめんね、ジロー♪」。

 

 余談だが、わが家は、貧乏人の子沢山(現出生率の倍以上)で、そのうえ女房も若い時から今でも体調を崩しながら、ここまで育てるのも容易ではなかった。でも、それぞれが嫁ぎ、嫁を貰い、家庭を築き、その子らも再び子(孫)を授かった。今振り返ると子沢山も、そんなに悪いことばかりではなかったような気もするのだが・・。