Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

どこもかしこも「穴」だらけ

 作って作りっぱなし、掘って掘りっぱなし、箱物や新規建造物は華々しく容易くできるが、このコストに対してメンテ(保守)作業にはその十数倍の費用が掛かる。地道な仕事だが昨今、団塊の世代の職人が現場を離れたこともあって、人手が足りない。

 

 重機はあるが動かしたり、操作するオペレーターが居ないのだ。こうした工事現場に限らず、引っ越し業者も引っ越しの分散化を云い始めた。力仕事を請け負う若手が枯渇しているからだ。

 

 企業の人事異動、卒業や入学、転勤時期など社会的慣行・慣習や教育制度まで変えなければこうした対処療法では一向に問題は解決しない。

 

 その一方で昔ながらの慣行や職場風土にしがみ付いている企業も多い。お台場にあるFTVもそうが、酌婦、女呟、娼婦として一流大学からミス〇〇やコンパニオンを美貌だけで採用する女子「(局)穴」ら。でも、マスゴミに限らずこうした企業風土はどこでにでも根強くある。

 

 つまり、「続けていく」ことや「斬新さ」、「利便性」、「効率性」、「高速性」や「センセーショナルもの」や「新しいもの」ばかりに社会全体が目を奪われ足元が見えていないこの世。

 

 第二東名リニア新幹線もいいが、深度のある山岳地下、高架なる高速道路ひとたび事故が起きたら「八潮の下水道陥没事故」の比ではない。

 

 最後に余談だが、八潮の事故当初、県も自衛隊の支援要請を考えたが「災害救助法」の適用外だと反日の狂サントウ(議員)が反対しこの話はお釈迦に。

 

 一方、媚中が大臣を務める共鳴頭はといえば、「酷考証は国道ではなく県道での事故だからお国は知らぬ存ぜぬ。」と、責任転嫁の相変わらずの縦割り志向。

 

 まあ、こんな制度や慣行が穴ぼこだらけでは、この世の基盤や地盤ですべて沈下する日もそう遠くはない。

職人技

 手に職を付けろとよく言われて育ってきた。若い頃叔父が面白い話をしてくれた。「橋の下でモッコを担いで仕事している人とその橋の上を何気に勤務先に向う勤め人とどっちがいいか」と意味深のことを幼き我に聞いたことを今でも憶えている。

 

 だが、今や周囲を見渡すと「(専門)家」や「(弁護)士」、「(鑑定)師」は多いが、こいつら知識はあっても、現実となると手足も身体も動かない。

 

 家を建てる時のことを考えてみよう。土建屋から始まり大工、左官屋に屋根屋、水道屋風呂屋、どれも手に職をもった多くの連中(職人)だ。だが、今やこうした「屋」に成りたがる若者が少ない。

 

 菓子屋、靴屋、すし屋然り。歌舞伎で言う屋号もその道の職人を指す言葉であり、土屋、古屋などの苗字もご先祖は土や家に関連した職人であったに違いない。

 

 職人技とは現場、勘所を知り自然に仕事に向き合えるプロと言ってもいい人々だ。だが跡継ぎ、見習いが少なくなる中で高齢化が進み、技術の伝承としてそれが後世に繋がらない。

 

 八潮市の下水道陥没事故の様子を見ていてもそのことが良く解る。

 

 つい最近も、台所のデスポーザーの不具合で本体どころかシンクまで総取替と相成った。デスポーザーメーカーのIXILは早くもこの分野から事業撤退。やっとの思いで対応できる両業者を見つけた。

 

 でも、これには続きがある。下請け見積もりのための営業担当。それに当日は担当者とと思いきや職人は後から参上。結局一日がかりの工事に結構な費用もかかった。

 

 職人曰く「毎日、一日廻るのが精一杯」との由。分業化もいいが手に職をもった人がすくなくなった。これでは頭でっかちの世の中になってはこの先が持たない。

モリタク


 人に限らず組織も行政も甚だ身勝手だ。突発的な災害、事故、事件に異口同音に「想定外」を繰り返す。「慎重に検討し・・」、「必要に応じて・・」と前置きするのもこれらは彼らの常套句。

 

    挙句の果てには息のかかった「第三者委員会を設けて、その結果を踏まえて・・」と、なんの回答にもなっていない。

 

 でも、遅かれ早かれ個々人の人生は厭が応でも遅かれ早かれその終焉を迎える。標記のありし日の作家・経済ジャーナリスト・独協大教授の森永卓郎の「身辺整理」をアマゾンで買い求めた。書店は何処も品切れ状態。

 

 彼はこの印税で高額な自由診療抗がん剤を利用した。月1~1.5百万円。貧乏人にはマネが出来ない。

 

 この本の中で言っていることは、ごく当たり前のことだが、それを目の前に覚悟は伝わってくる。

 

 それにも増して伝わってくるのは生前の奥方様に対する感謝の念だ。それに巻末近くに「この世で多くの知人を得たが友人は一人もいない」、だから「遺言は『密葬』」にしてくれ」とあった。

 

 何とも言えないフレーズを残して先月当方より一足早く彼は旅立った。16百円程度の書籍だがこの気持を拾っただけでも一読の価値はある。

 

  おら方もガンに罹患する前あった76㎏の体重も、今や46㎏と30㎏以上激減、それでもまだ生きている。

待ちどお~しのわ「冬休み(^^♪」

 弘田美枝子の曲にのって待ちどおしの、今年1月中に出した確定申告書の所得税国税還付金請求、一向に入金にならない。取るは早いは戻すは遅い。毎、郵便受けを見ては一向通知が届かない。

 

 それはさておき、先日面白い動画を見た。広島の名のあ旅館で朝食に「旅の友」朝ごはん用に提供しはじめてところ上々の滑り出しだそうで、これを目当てにする宿泊客も多いとか?

 

 これ、謂われがあって時は遡ること明治34年創業の、田中食品が作ったものだが相次ぐ戦時下で兵隊はこれをこれを口々に頬バッタという。

 

 この歴史は今も語り継がれているが、残念ながらTV番組のに紹介されるまでは、スパーの店頭にはなかった。それを慌ててアマゾンで買い求めたのが、こちら!

 

 歴史や文化、伝統美を忘れた、今の日本には何もない「こんなニッポンに誰がした!!」

2027年問題

 毎年のように、2025年問題とやらで人口動態やベビーブマーらの退職や老後を心配する向きも多いが、所詮これって予めわかっていたこと、これをマスゴミが降って沸いたの如く採り上げるものだから諏訪一大事とばかりに世の中が身構える。得意の商売だ。

 

 ところが、意外と知られていないのが本日採り上げる2027年問題だ。実に日常的に使っている蛍光灯の生産が終了するというのだ。無理くりLEDにシフトさせたいのだろうがこうしたやり方は如何なものか。

 

 すでに、パナソニックは早々に27年9月の生産終了を表明している。つまり蛍光灯は、業者、卸、小売りを含めて在庫限り。すでにその争奪戦の動きが水面下で出ている。電球ともなるとそれより早くに売り切れとなるに違いない。

 

 町の街路灯やひなや養鶏のための発熱灯はどうなるのだろうか。熱を持たなければ意味がない。LEDではヒヨコは育たない。

 

これで潤うのは何処か?実は電力を供給している電力会社だ。絶対的に供給量が増えるのだから儲かるのだ。

 

 さて、それはさておき、我が家の天井は高く、その分蛍光灯の管も大きく、しかも2重だ。早めに取り替えたいが三脚はあるものの、老夫婦が故にこれを昇って取り替える作業に自信はない。夫婦共々蛍光灯や電球と一緒にこのまま朽ちるのか・・・。

 

 昔は近所に住んでいた娘がひょいひょいと駆け付けて蛍光灯を交換してくれたものだが今やそれも叶わぬ。

 

 域内に電気屋もない。大工に限らずこうした「屋」のつく職人が居なくなった。これについては後日掲載しよう。

 

 これから先、蛍光灯が切れるのが早いか、我らが切れるの早いか頭を抱える日々が続く。