現役時代、会社の女性社員が子宮がんから脳転移の末、未婚のまま38歳の若さで亡くなった。
また、従兄は肺がんの末、喜寿を前に子供の結婚式どころか孫の顔も見ずしてこの世を去った。この2つの通夜、告別式に参列したが、開式から閉式まで延々とBGMが流れていたことを思い出す。
1つはコブクロの「蕾」、もう一つは美空ひばりの「川の流れのように」だ。今日は旧盆を終えたから、敢えてこうした内容を話題に採り上げたのではない。両曲とも故人が生前から葬儀の席ではこの曲流し続けてくれと遺族に懇願してのことだった。
「蕾」は生前実らなかった彼との恋を唄ったと思いきや、これよく調べてみると母親に捧げた楽曲だった。従兄のそれは自分の人生をこの曲に重ね合わせ、息子に指示しておいたものだった。
「蕾」は小渕健太郎が、亡くなった母へ捧げた曲。このことはレコ大で受賞した際に
「亡くなった母親が一緒に歌っていてくれていたと思う」というコメントしたことも逸話として残っている。
まだ彼が18歳の時だった頃だから、母親もまだ若かったことだろうに、そしてこの曲の歌詞には亡き母に、生きている間に伝えたかった様々な心が込められている。
「涙 こぼしても 汗にまみれた笑顔の中じゃ
誰も気付いてはくれない
だから あなたの涙を僕は知らない」
母親は子を愛するのにそこに見返りは求めない。そしてその母の笑顔はいつだって子供の味方であり、子供にとって安心するものだ。
「柔らかな日だまりが包む 背中に ポツリ 話しかけながら
いつかこんな日が来る事も
きっと きっと きっと わかってたはずなのに🎶」・・・
つづく「川の流れのように」は、皆さんご存知のとおりの楽曲。小椋佳にしてはあまり抑揚のない曲だと思っていた。ただ、この曲何度も何度も人生を流れる川に例え、歩いてきた道を振り返ればそこには故郷があったとも。この曲焼香の煙と一緒に体に染みついてきたことが今も残っている。
このほかで記憶にあるのは、浜田省吾の「もうひとつの土曜日」と全日空のANA・チーム・HNDオーケストラが日本航空向けに演奏する「風になりたい」のアンサンブルの音色が今も心に残っている。これについての由来は、またいつか・・・。