どうにでもなる。その内容は綿密に練られたシナリオの下に必要最低限のことしか書かれていない。
だから、失言、余計な発言や邪推を招かないように(共同)記者会見は開かない。最近芸能人やタレントが良く使っている。この手法は専ら霞が関のお役人たちが古くから使っていた巧妙な手法だ。
何かを問われると。「書かれている通り、それ以上でもなければそれ以下でもない・・」とくる。
つまり、記者やマスゴミの誘導にかからないようにしている。相手の術中にはハマらない。これは政治家の国会答弁を見ても分かるとおり、裏方の官僚が裏手から常に紙を差し入れている。
答弁者も書かれていることしか、喋らない。何を聞かれても同じことを繰り返し述べるだけだ。「ツッコミ」や「奇襲」には応戦しない。書く方も、記者もそうだがニュースや記事を載せるのは「御社のお考え方であって・・・」と体よく逃げる。
これが、イヤホンやタブレット、携帯電話ではでは足が付きやすいので「紙一重」を尊重する。
先に与党閣僚の何とかタロウがスマホを観ながら答弁したところ、大顰蹙の渦に巻かれた。だからデジタル化などは到底進まない。日本の文化、歴史、統制機能がそれを許してこなかった。
だからこそ、紙の文化は脈々と続く。「突撃取材」に口を滑らせて「前言を撤回します」という奴ほどうっかり八平衛、知恵のない者はいない。