Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

やり過ぎじゃねえ~の

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 小学校での男女別トイレの廃止、出欠簿や出勤簿の男性から点呼や運動会や朝礼での並び順など、制服のスカート廃止など様々な場面で行き過ぎの部分が数多く気になって仕方がない。スギタるは及ばざるがごとし。

 

 「大和なでしこ」や「大和魂」なども差別用語として取り扱わられていて、このままでは、例えば柳腰、小股の切れ上がった、などの女性美を表わす言葉や喋りもなくなってしまう。「男(性)とは・・」「女(性)とは・・」ということ事態が憚れれる。これでは性別のニュートラル化がさらに進み性の中性化(ユニセックス)が弊害を起こしかねない。

 

 皆さんダンマリで、ミャンマーの国内事情はほっておいて、近視眼的に一旦こうしたジェンダーフリーの風潮に火が付くと、社会的、国際的(極度な過敏症か目くらまし)にも一大ムーブメントに火が付く。パンプス、化粧もスカーフも不要論が相次ぐ。

 

 もしかして、元組織委員会会長の性差別発言もこうした流れを受けての「ヤラセ」にもみえる。ただ、世の中一斉にこうした意見に同調する人も多い。

 

 LGBTとか性差別を盛んに口にする。こうしたことを強弁する人ほど男女の性差を武器に却ってそれを存在意義や時流にしているようにも見えて本質論が欠落しているようにもみえる。

 

 それは自身の主張、思想や考えではなく、これを時代のせいや世の流れだという。そうしたはやり言葉に乗っていた方が楽だし、まず世間から叩かれることはない。

 

 男らしい、女らしいという考え方が批判される社会。世の中がジェンダーフリーの方向へ進むことは異様だ。

 

 勝手に考えても、オトコマサリ、おとこポイや女ポイや女ざかり、雄たけびや雄々しいとか、男々しいとか女々しいといった言語も、会話もこの先昔言葉として消えて行くのだろうか?

 

 性別の言葉の由来や起源や歴史、文化を考えずして、今更ブームのように「何でも反対、何でも差別」を口に出すのも如何なものだろうか?なんでも、かんでもを「~ハラスメント」で一括りにして糾弾するばかりのこの世の風潮に。

 

「スギタたるは、及ばざるが如し!」こんな当方の考え方は「女々しい」のかなあ!