Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

ボカシ、ハズカシ、コレミヨガシ

 これなんに見えます?実はリスなんです。このようにい方によっては世間はいくらでも誤魔化せる。

 日和見、体制維持、強権派、保守的、語気の強いモノに従う、御尤も首を垂れる、個性も主張もない。ニッポンジンの国民性というか、気質というか、常に上から下へくだることにについては逆らわない。でも、ひとかけらの民衆が騒ぎ出すとそれに乗って同調する。

 

 例えば、学校の不祥事、野外授業での事故や珍コロナ感染にしても、一度ことが起きれば「それは生徒を預けている学校としてどうなのか」とくる。

 

 つまり、当事者で責任がとれないこと、責任の所在が不明な時に親御さんらは立場を利用して教育の一翼を担う教育機関としてどうなのかを問うている、とかくる。そこには家庭教育とか躾とか、子供たちも含め主体(主人公)が存在しない。

 

 もっともらしいことを尤もらしく、主張しているだけで中身は全くない。「みなさんもそうおしゃっているですから・・」と来るか、あり得もしないリスクに「・・になったらどう責任を取るんですか・・・」と来て、同調圧力を掛ける。

 

 普段は無口な人が発言するものだから、同調圧力はさらに増す。そして「そうだ、そうだ!」の大合唱。これに煽られ沈着な意見はもみ消される。おおよそ、どんな場面でもこんなことが起きうる。

 

 大方の意見や主張に従っていた方が便利で、気楽で、そのおかれているポジションは安泰なのだ。役割、使命を盾ににとってあたかもその場に及んで革新論者のようなことを宣わるのは上滑りの論者でしかない。

 

 何を思い、何が大切なのか、何をどうればいいのかといった議論が一向に進まない。この先言葉遊びはまだまだ続くだろう。

 

 お国や体制は絶体なのだ!こんな歴史が脈々と続いている。