本当の意味、語尾やイントネーションが違うだけで日本語の意味は大きく変わる。広島の牡蠣もあれば市田の柿もあるのがその典型だ!
このことわざは、果樹を植えたら、食べられる実がなるまでに相応の歳月を待たねばならないことから、何事も成就するまでにそれ相応の年月がかかるということをあらわしています。
ほかにも努力することの大切さを表した、勤勉に働いた人は三年で一人前、少しだけ努力した人は八年で一人前、普通の人は九年で一人前、努力しない人は十八年かかっても一人前になれないという意味もあるそうです。
すぐに結果を求めたがる人に対して、まずは地道な努力が大切であると言い聞かせる場合などに使われます。つまり、来週海外旅行に行くからといって、今日参考書を買って英語の勉強を始めたからといって、すぐに明日話せるようになるわけではないという戒め。
さて、同音異義語の例を挙げると、きこう(機構、気候、寄稿など)、かんしょう(鑑賞、観賞、干渉など)、しじょう(市場、史上、誌上など)、たいせい(体制、耐性、態勢など)、ほしょう(保証、保障、補償など)などを同音異義語という。イントネーションのつけ方のよって全くいもが異なる。これが日本語が世界の公用語として通じない側面もある。
ところで、季節は晩秋。そこで牡蠣あらぬ柿で一考してみたい。桃栗三年柿八年といわれるが、語源は江戸時代後期に作られたという『尾張(大阪)いろはかるた』のことわざの中に、「桃栗三年柿八年」という言葉が登場しているらしい。
で、これに続く二の句はと云えば、「梨の馬鹿目が十八年」「柚子は大馬鹿十八年」「林檎にこにこ二十五年」「梅は酸い酸い十三年」などがある。
そのほかにも「柚子は大馬鹿十八年」のほかにも「柚子は九年の花盛り」や、「柚子は九年でなりさがる」ともいう。さらに面白いとこでは、「女房の不作は六十年」「亭主の不作はこれまた一生 」というものもある。
『時をかける少女』の桃栗三年柿八年にも出ている。原田知世が歌っていた「桃栗三年 柿八年 柚子は九年でなりさがる。梨のばかめが十八年!」
拙者、梨の馬鹿めは十八年で棲むが当方のばかめは施しようもなく、まさに旦那の不作は一生ものだ!(m´・ω・`)m ゴメン…!