その昔、駅前の店と云えばサラ金と英会話教室だった。それは今はどうだろう学習塾に歯医者や開業医の「お店」が並ぶ。これも時代の流れなのか一日千秋の思いである。
立地の良い駅前はテナント料や賃料は相当だが、元が取れるから次から次へと店が変わる。
そこへいくと、郊外の店には余程の大きい駐車場でもない限り、客は寄り付かない。
だから商いは余計に難しい。今や経費の中で一番嵩むのは「人件費」だ。人手が必要な農家なのでは、昔から農道わきの路地端でワンコイン(百円)で、農協に卸せない(規格外)野菜を販売していた。
尤もとは言え、わが方も幼少の砌、甲府の愛宕山でぶどう棚の葡萄を採りながら散々口にした。月見の夜に月見団子を釣り竿の先端に釘をさしてよく盗ったものだ。
その頃から、無銭飲食と同じく無銭窃盗が流行っていた、ただ、今やギョウザの無人店舗然り、人件費圧縮のためにこの手の店が多くなった。
ただ、そうした店は餃子のみならずアイスクリームやデザートを合せ販売している。防犯カメラを設置しているとはいえ、この手の窃盗事件は後を絶たない。それこそがワイドショーの番組ネタになる。これってあったり前田のクラッカー!!
二束三文にしかならない野菜が盗まれるとは大違いだ。何故、高付加価値の商品を無人で併せ販売するのか不思議でならない。それでは、バイト一人でも雇って有人店舗とした方が採算が合う。
どうやら、どの分野でもこうした勘違いのビジネスモデルが横行している。何のための、誰のための・・といった基本的な商いの原点が誰も解っていないようだ!