昨日お話ししたとおり、今日は義母の御命日。されど、娘夫婦は一昨日から新幹線経由で淡路島に向かった。なぜ、淡路島なのかもわからないが、当方も新神戸駅経由で駅前からレンタカーを借りながら瀬戸大橋経由でこの地を訪れたことがある。
こんなコロナ禍の折、わざわざと思うのだが何故か「淡陽」に・・・しかも子ずれで、昨夜遅くに自宅に戻ったそうだ。
それもつかのま、今日は家族で遠距離ドライブに出かけているという。若い家族という者は疲れを知らずエネギリsッシュだ。到底、この老夫婦には真似はできない。若さということはそういうことかもしれない。と、昔の自身を振り返る。
感染予防のためにわが家には立ち寄らないが、淡路のバイクンドウのお香の香りと玉ねぎの味だけは今も忘れていない。
仏壇はないが、 遺影に向かってそっと掌を合せる。
「南無阿弥陀仏」と。