都下東村山市に本店を持つ「紀伊国屋」が突然にして廃業、自己破産した。その昔はJR立川駅の南口に本店があった。
そこにはよく通い、大学生時代(ご案内のとおり本当は中卒)東京の下宿先から田舎に帰るたびに手土産としてここの「相国最中」を持参した。
これが親戚、縁者、ご近所にまことに以ってご好評だったことを思い出す。手元にある満杯のスタンプが押されたカードが無念。
この最中のあんには牛皮と栗あんがあってどちらも田舎者にとっては「ハチヤの最中」と立川にあった「第一デパート」と並ぶ銘菓、名店だった。この店を紹介してくれたのは当時女学生の家人だった。
それ以来、すっかり虜に担ってそれさえ持って帰れば心地よいものと思っていった。
東京新宿に出れば、京王デパートの二階横断道路にも出店があって、あずさに乗車する時もよく買い求めたものだ。ただ、あまりに手広く店を拡げすぎたのが敗因かもしれない。
菓子箱は紙製もあれば木製もある。味もさることながら包装もなかなかのものだ!そんな懐かしき想い出がまた消えた。今でもわが家ではその箱を筆箱やスプーン入れとして
その原因は消費者層の和菓子離れだというが、老いた人にとっては渋茶に和菓子ほどコンビがいいものわない。それが今の時代では理解されないようだ。「野沢菜」と同じように「お茶請け」という言葉も今の若者は知らないだろうな???
それは、長野にいう「まほろばの月」、「これはウマイ」と同類。ただ「みすず飴」だけはご遠慮したい。
こうしてまた老舗の銘看板が消えた。悔しくも懐かし(菓子)い限りだ。理由はともあれ、それにしても淋しい。