Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

備えあれば憂いナシ!

 昨日は「子供の日」で菖蒲湯につかった。「ゆず湯」といい季節感を感じる。それにしても「こども」、「敬老」、「成人」に(祝)日があって、働き盛りの大人に対しての「オトナの日」が、なぜないのか解せない。なんだか11月22日、4月22日とかのいい夫婦の日とか、良い夫婦の日とか言って、お茶を濁されているようで仕方がない。

 

 さて、今日のテーマは縁起が悪い「お供え(物)」のお話しではなく「備え」のこと。先日、人生を語るラジオ番組でそう年の離れてもいないご夫婦の嫁さんが語っていた。「旦那」さんが現役時代50歳過ぎに脳梗塞で倒れ、半身不随に・・以降70歳過ぎまで、ずっと自宅で夫の食事や下の始末などの介護・介助を続けているといふ。

 

 一言で20年と云ってもその間のご苦労は察して余りある。まだその「旦那さん」は存命だからそのご負担は依然続いている。とのこと。

 

 この話を家人にしたところ、あまり家族や子供に長い間世話になるというのも「どうかねえ???」、「できたらあっという間に末期の水がのみたいもの」だとよ。

 

 ここで末期を迎えるには、緊急搬送先の病院や施設でお迎えということになるのだが、ここで問題になるのがそれまで住んでいた自宅だ。拙宅は戸建てだがブロック塀、屋根瓦や外壁等の修繕・補修のメンテナンス(保守管理)に、業者手配から始まりカネの手配まで何かと手間暇がかかる。これが老後になると重くのしかかる。

 

 残された家屋敷の処分も後々大変な負担になる。そのことは当方も遺産となった実家のメンテや公共料金の維持費などに手を焼いているから、そのことが良く分る。この歳になって、いっそ今住んでいる自宅「終の住処」を手放し管理組合がしっかりしている大型マンションにでも引っ越そうかと真剣に思っている。

 

 後見人が居なくては本人の意思が伝わらぬ前に、「転ばぬ先の杖」ではないが、意識がある今のうちから「備え」をしておくべきと痛感。憂いた「オトナ」の日の今日を迎えた。