つい数日前とある方の訃報を耳にした。現役時代外部から招へいしたY氏である。いずこも同じだが親会社、本体でお役目ご苦労となった社員が系列や提携会社に天下ってきて、突然に役員に就くのはそう珍しい話でもない。
ただ、叩き上げてきた生粋の社員からすれば、これほど不条理で面白くないことはない。このY氏飄々としてあたりもよく、周囲に敵を作らないタイプだった。それは敵外地に落下傘で着地したのだから身の程を知ってのことだったに違いない。
数十年前、この男が大腸腫瘍のため順大病院に入院した際、媚びや諂った訳でもないが忙しい時間の合間を縫って見舞いにいったことを思い出す。
その男が、退任後仲間と一緒に年末ゴルフを楽しんだあと体調を崩し、今年の三月初めに亡くなったという。病名は肺癌、しかも劇症型のがんであっため手の施しようもなくあっさりと最期を迎えたとのこと。
当方とさほど年も違わないため驚きとショックは隠せない。当方も含め周囲にはがん患者が多い。このようにたちまち亡くなる御仁もいれば、長生きする患者もいる。てんから授かったこの世での寿命は、本人では如何ともしがたい。
彼が当方のことを「先生、先生」と呼んでたことを思い出す。教師は勿論のこと医者、弁護士、政治屋などなど師や士の肩書を持つ連中は全て「先生」と呼ばれる。当然、そう呼ばれて悪い気にはならない。
ただ、誰彼処に「先生、兄さん、姉さん」を呼び名に語り掛けてくる人も多い。当方もそう呼ばれることも多いが、これにはいささか気が障る。なぜなら、先生もそうだが先に産まれているから、先生であって、知識も経験も豊富だ。それを年端も行かない生徒や学生が崇め奉るのは如何なものか。故に後から生まれた者は「後生」と呼ぶ。