かれこれ11年前、驚きを超すような地震を経験した。当時、災害本部責任者として任につき、不眠不休で対応に追われたことを思い出す。今日はそんな思いを胸に、女川の当時の代表理事にメールをした。覚えていてくれて、すぐさま返信がきたのにはうれしかった。
当時の、混乱や錯乱状態、福島の富岡町からの奥様からの必死の悲鳴も今でも耳に残る。あの叫び、嘆きの声は今でも忘れられない。
非常物資にかくまわせて、野菜の影に端末機を隠して送ったことも思い出す。この3月11日は、色々な意味で思い出深い。
11年前。長男は明日に結婚式を控え、横浜のホテルで留め置かれ、結婚披露宴も危ぶまれたが、東海道新幹線が動いていてためなんオトカ挙式を挙行できた。
11年されど、11年。思いは多いが、今日の日は、昔の彼女の誕生日。それに拙者の結婚記念日。どうも311はこころにかかる一日だ。