「1日100万回接種の検討に入る」との由、この言い方も持ってい廻った言い回しで何が言いたいのかさっぱり分からない。
申し上げたいのは結果がすべてであって、そこまでのアプローチや手段を目的化してしまうと実効ある結果にはならず期待どおりの目的が果せなくなる。
静岡では選挙対策にタナベノマスクを若者に配布というバカ候補もいた。アベノマスクの倉庫保管料が年間60千万円。これを一挙に処分してしまえば安上がりだというのに、各自治体からの要望があれば配布するということに大きく舵を切った。木っ端役人が考えそうな発想だ。
この配送料(手段)に最低でも1億円以上かかるという。本来の処分という目的がいつの間にか手段を目的化してしまっている。これ本末転倒の典型事例。
今回の三回目のワクチン接種も同じことで、接種すること自体を目的にしているものだから最終的な着地(目的)がどこにあるのか判らない。それが故に何回打ったところで感染者数は減るどころか逆に増え続けている。そのことは現在のイスラエルの国内状況をみれば一目瞭然だ。
ブレイクスル―感染が蔓延る中で、接種がモデルナの在庫一掃なのか、海外製薬会社の支援なのか、効かないワクチンを打ち続けるのは余りにリスクが大きすぎる。「ワクチン信奉(絶対主義)」がどこまで続くかは判らない。
そうした中で、タレントが次々に感染報道が賑わう一方で、閣僚も政府筋の要人も、それに厚労省職員のほとんどが接種には消極的だ。
これは壮大なる人体実験なのか、それとも目的が後天性免疫不全や心筋症などの実証実験なのか。国民はモルモットではない。
先に三回目のワクチン接種券が届いた。今、この通知書をみながら夫婦で悩んでいる